池田淳池田 淳(いけだ あつし、1918年(大正7年)12月19日[1] - 1989年(平成元年)6月16日[1][2])は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期、自由民主党)。 来歴千葉県[1][2]君津郡竹岡村[3](現富津市[3])で、清酒「聖泉」醸造元・池田酒造の二男として生まれた[3]。木更津中学校(現千葉県立木更津高等学校)を経て[3]、1947年(昭和22年)日本大学法文学部卒[1][2][4]。 1948年(昭和23年)千葉県庁に入り、地方課長、総務課長、農林部長などを歴任し[1][2]、1975年(昭和50年)出納長に就任[1]。その後、国民保険会千葉県連合会副会長を務めた[1][2]。 水田三喜男の後継者として[3]1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙に無所属で千葉県第3区から立候補し当選する[1][2][5]。当選直後に自由民主党に入り[3]、2期務めた[1][2]。1983年(昭和58年)の第37回総選挙で、保守分裂によって票が割れたことにより落選した[5]。 1989年(平成元年)6月16日死去、70歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[6]。 脚注参考文献
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