江頭 安太郎(えがしら やすたろう[1]、1865年3月9日(元治2年2月12日) - 1913年(大正2年)1月23日[2])は、日本の海軍軍人。海兵12期首席[3]・海大甲号学生5期首席[4]。海軍中将従四位勲二等功三級。皇后雅子の曽祖父[5]、文学者江藤淳の祖父。
経歴
現在の佐賀県佐賀市北川副町大字木原に江頭嘉蔵・キノの次男として生まれた。父・嘉蔵は佐賀藩の下級武士であった[1]。嘉蔵の生年は不明だが、安太郎が生まれた頃すでに40代であったとされる。安太郎が学齢期を迎えた頃、嘉蔵は佐賀中学校(現佐賀西高校)に学校用務員として勤務していた[6]。
佐賀中学校に入学後に上京して攻玉社に入り、海兵12期の同期生、さらには後に親族となる山屋他人(海軍大将。横須賀鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官)と知り合った。
海軍省軍務局長在任中に海軍中将に進級するも(大正2年1月7日)、直後に待命となり(同年1月10日)、現役のまま死去(同年1月23日)。47歳没。
人物像
江頭は、海軍兵学校在校中全科目で首席を占めたといわれ、海軍大学校甲号学生を首席卒業という稀な秀才であり、山本権兵衛に早くから目を付けられた逸材だった。
日露戦争では大本営参謀を務め、海軍省人事局長、同軍務局長と軍政畑の要職を歴任し、海軍大臣候補であった。
年譜
栄典・授章・授賞
- 位階
- 勲章等
親族
[5]
- 父 江頭嘉蔵 ‐ 佐賀藩士
- 妻 江頭米子(佐賀藩士・海軍少佐の古賀喜三郎の娘)
- 兄 江頭範貞(裁判官)
- 長女・古賀英子 ‐ 海軍大佐・古賀七三郎の妻。娘婿に江口朴郎
- 長男 江頭隆(遠山偕成常任監査役、江藤淳の父)
- 次男 古賀博(海城学園理事長)
- 三男 江頭豊(日本興業銀行常務取締役、チッソ会長)
- 二女・東野淑子 ‐ 日本貯蓄銀行支配人東野十治郎長男・道治(大正海上火災保険)の妻
- 孫 江藤淳(本名:江頭淳夫、文学評論家。東京工業大学教授、慶應義塾大学教授)
- 孫 古賀慶次郎(医学博士。慶応病院、国立小児病院医長。日本小児耳鼻咽喉科学会会長 慶大医学部卒)
- 孫 古賀英三郎(一橋大学教授・社会学部長〈社会思想史〉)
- 孫 小和田優美子(江頭豊の長女。小和田恆の妻)
- 曾孫 皇后雅子(小和田優美子の長女。第126代天皇・徳仁の皇后)
- 曾孫 池田礼子(小和田優美子の二女。国際公務員。元・国際連合児童基金(UNICEF)駐日事務所副代表)
- 曽孫 渋谷節子(小和田優美子の三女。文化人類学者、翻訳家。福知山公立大学教授)
- 1993年1月19日、皇太子徳仁親王と安太郎の曾孫にあたる小和田雅子との婚姻が皇室会議において承認されてから、元佐賀市議で地元の郷土史家の轟木保は、佐賀市長から江頭家のルーツ探しを依頼された。轟木の調査の結果、『一族再会』において、江藤は古賀・江頭家の菩提寺は禅宗の岩松軒寺であるとしているが、岩松軒寺に墓は存在せず、古賀家の墓は浄土宗の阿弥陀寺にあることが判明した[19]。東京・青山にある江頭家の墓地は安太郎の母のキノから埋葬されていて、戦災の消失もあり、佐賀の岩松軒寺では、墓所についての有益な情報はえられなかった。[20]
系譜
- 江頭家
脚注
注釈
- ^ 海軍大学校甲種学生(名称に変遷あり[4]。海大甲種学生の卒業期は、明治31年12月卒業者を1期とする[4]。)の優等卒業者に恩賜品が授与されるようになったのは明治26年12月卒業者以降で、当初は銀時計であり、明治31年卒業者から軍刀となった[4]。江頭は、恩賜品を授与された最初の期の首席卒業者であり、銀時計を授与された[4]。
出典
- ^ a b 秦 2005, p. 188, 第1部 主要陸海軍人の履歴-海軍-江頭安太郎
- ^ 『江頭安太郎』 - コトバンク
- ^ 秦 2005, pp. 269–288, 第1部 主要陸海軍人の履歴-期別索引
- ^ a b c d e 秦 2005, pp. 641–660, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-II 海軍-1.海軍大学校甲種学生
- ^ a b 「小和田家系図」『毎日グラフ臨時増刊 皇太子さま雅子さま ご成婚記念特別号』、毎日新聞社、1993年6月26日、161頁。
- ^ 川口素生『小和田家の歴史 - 雅子妃殿下のご実家』165頁。
- ^ 『官報』第2276号「叙任及辞令」1891年2月3日。
- ^ 『官報』第2617号「叙任及辞令」1892年3月24日。
- ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
- ^ 『官報』第4906号「叙任及辞令」1899年11月7日。
- ^ 『官報』第6142号「叙任及辞令」1903年12月21日。
- ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
- ^ a b 『官報』第144号「叙任及辞令」1913年1月24日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
- ^ 『官報』第5072号「叙任及辞令」1900年6月1日。
- ^ 『官報』第5835号・付録「叙任及辞令」1902年12月13日。
- ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
- ^ 毎日グラフ臨時増刊、1993.6.26『皇太子さま 雅子さま ご成婚記念特別号』
- ^ 毎日グラフ臨時増刊『皇太子さま 雅子さま ご成婚記念特別号』P127
参考文献
外部リンク