水田わさび
水田 わさび(みずた わさび、1974年8月4日[9][10] - )は、日本の声優、舞台女優。三重県名賀郡青山町(現・伊賀市)出身[1][2]。青二プロダクション所属[5]。 代表作は『ドラえもん(テレビ朝日版第2期)』(ドラえもん)、『お伽草子』(金太郎)、『ヒカルの碁』(フク)など[11][12]。 略歴生い立ち幼い頃は王道のアニメに親しんでいた。小学生の頃好きだったのは『忍者ハットリくん』、『オバケのQ太郎』で、藤子不二雄アニメを皆と同じように楽しんでいたという[7]。 声優に憧れたのは中学3年生の頃に放送されていた『ドラゴンボール』が流行っていた時で、あまりアニメを観ていなかったものの、唯一同作では部活から帰宅し塾に通うに前に食事をしながら観ており、すごく好きだったという。中でも野沢雅子や田中真弓ら声優たちの活躍していた姿を見て、とても憧れていたという。その後友人から野沢雅子の写真を見せられた時「この人が悟空の声をやってるの!? 男の子じゃないんだ!」と衝撃を受けたことから「こんなに素敵な職業があるんだ!!」と一気に声優に目覚め、中学時代の文集にも「野沢雅子さんが大好き!!」と書いた覚えがあったという[6][13]。 高校卒業後は「上京して声優を目指そう」と考えていたが、親からは上京するのを猛反対されていた。しかし、神奈川県横浜市に住んでいた叔父が「僕が近くにいるから、大丈夫だよ」と助け舟を出してくれた。「4年の間に何もつかめなかったら諦める」と親と約束し、三重県立名張桔梗丘高等学校(現・三重県立名張青峰高等学校)[4]卒業後、三重から上京[6]。 キャリア劇団すごろくの芝居を観に行き、その芝居の打ち上げの居酒屋では「今日の芝居はどうだった?」から始まり、「アルバイトは何してる?劇団に入ったら維持費は払えるの?大道具、衣装など裏方の仕事は何ができる?歌は好きなの?着物は着られるの?」と色々なことを聞かれていた。そんな面接をクリアして、劇団すごろくに入団し舞台女優として活動[6][7]。 当初は裏方のスタッフとして働いていた。劇団に入団後、しばらくは裏方をしていたが、ある事情で役を降板した先輩の代役で女郎役を演じ、役者デビュー。その時は色が白かったことと、「この子は毎日来ているから、役者の動きがわかるんじゃないの?」と思ってくれたかもしれないという。ただし、このことがなかったらずっと裏方だったかもしれないため、このことは大きな転機だった[6]。 初舞台が決まり、本番までの時間も少なかったため、「とにかくやらなきゃ」という感じで稽古に入った。女郎役だったこともあり、相手役の役者に胸元に手を入れられたりするシーンもあり、当時まだ20歳くらいだったことたから、稽古の時は恥ずかしく「ヤダな~」と思っていた。本番の舞台に上がって照明を浴びると、まったく恥ずかしさがなくなり、「楽しい!!」、「一つの役を演じるって、こんなに気持ち良いことなんだ」と思うようになった。そのうちスタッフたちから「お前、胸見えちゃうぞ!!」と注意されるくらい、どんどん大胆に演じるようになっていった[6]。 初舞台で芝居の楽しさを知り、その後も裏方をやりつつ役者として舞台に立つようになった。自分の劇団だけではなく、よその劇団の仕込みを手伝いに行き、その劇団の芝居を無料で「毎日のように無理用で芝居を見られて、ラッキー!!」と見せてもらったりもしていた。その頃は芝居が面白く、どんどん芝居にのめりこんでいったという[6]。 劇団の舞台に立っていた時に、偶々客席にたてかべ和也がおり、水田に声を掛けてくれた。その時の水田は顔を茶色に塗って馬役を演じていたため、最初は名前も覚えてもらえず、「馬」と呼ばれており、飲み会の席でも「馬、酒注げ」と言われていた。ある時「太った男の子役のオーディションがあるから、受けてみない?」と言われてアニメのオーディションを受けさせてもらえることになり、「オーディションは落ちるものだから」と言われつつ受けていた。その時に下手さか素人さかが逆に幸いして役に合ったため、オーディションに合格。1996年、『トイレの花子さん』の上岡山大介役で声優活動を開始[6][7][8]。 声の仕事は無知だったことから、当初は戸惑っていた。「上手になったら困る。そのままのあなたで」ということで台本のみ渡されて、家でリハーサルもせずに現場に行っていた。「とにかく、スタジオに無事辿り着くことができるか?」が不安だった。マイクの前で芝居することは「難しいんだな~」と思っていたという。運よく緒方賢一と同じ現場だったため、「こうすればいいから」と全部教えてもらったという。現場に恵まれており、先輩から教えてもらいながら一つひとつ仕事を覚えていった。声優養成所には行っていなかったが、その代わりに現場で先輩から直接教わることができたのはラッキーだったと語る[6][8]。 現場が終わり飲みに連れて行ってもらった時も、先輩から「わさちゃんは(支払いは)いいから」とよく奢られた。ある時、長尺の外画の仕事があり、共演者と張り切り昼飯を食べに行ったが、財布を開けたところほとんどお金がなかったことがあった。その時は「やばい!なんでご飯食べに来ちゃったんだろう?」と焦っていたが、その時も先輩に「いいよ。今日はみんなで水田さんの分、払おう」とお世話になったという[6]。 以降、高く個性的な声を生かして、『ヒカルの碁』や『とっとこハム太郎シリーズ』などに出演した[7]。 新人の頃はアルバイト、劇団、声の仕事の3足のわらじを履いていたが、子供の出産後は、アルバイト、劇団、声の仕事、育児の4足のわらじを履くようになり、出産後に「もういいや」と落ち着いてしまった。ただし、事務所からの電話を待つだけだったら、2014年時点の水田はいなかったかもしれず、出産後も仕事をしたい気持ちはあった。「自分は結婚して子供を産むために東京に来たわけじゃない」と思っていたため、「やっぱり仕事をしよう」と思った[14]。 以前はぷろだくしょんバオバブ[15]、賢プロダクション[16]に所属していた。 →詳細については「§ ドラえもん関連」を参照
現在まで2010年(平成22年)に第4回声優アワードキッズファミリー賞を受賞[17]。 人物「わさび」という芸名を命名したのは劇団すごろくの当時の座長であった緒方賢一[18]。 舞台役者としては劇団すごろく[19]→演劇部隊チャッターギャングで活動[20]。演劇部隊チャッターギャング時代は、家事に子育て、アルバイトなどと忙しい生活を送っていた[21]。長女を出産後も舞台をしていた[22]。KOYA-MAPの舞台『喝采』で久しぶりに舞台活動を行う[23]。 東京声優アカデミーで講師を務め、後輩育成にも力を注いでいる[24]。 特色声種はメゾソプラノ、ハスキー[25]。方言は関西弁[5][16]。 主に少年役を演じる[25][13]が、女の子、女性、動物も演じることもある[3]。 趣味・嗜好資格・免許は普通自動車免許(AT車限定)。趣味は野球観戦、邦楽ロック。特技は歌唱[5]。 野球について父親が広島県出身である影響もあって、広島東洋カープのファン[3][26]。また、『週刊ベースボール』2007年(平成19年)4月2日号の「こだわり野球熱伝」のコーナーでは、その熱烈ぶりを語っている。なお、中学生時代と高校生時代の部活は共にソフトボール部で、中学では外野手、高校では内野手だった[26]。 交友・対人関係演劇部隊チャッターギャングの隊長の小野健一とは水田が独身の頃、劇団すごろく時代から芝居のこと、人間関係のこと、業界のこと、舞台のこと、日常から演技指導まで沢山、影響を受けていたほどお世話になっているという[21][22][27]。 同じ事務所に所属していた生天目仁美とは誕生日が一緒で、以前、『武装錬金』で共演してから空き時間に一緒に飯に行ったりするようになったという[28]。 家族母親は農業協同組合の職員、父親は農業高等学校の講師、祖父母が農作業を担っていた兼業農家であった[1]。 既婚者[3]で、2人の娘がいる[26]。ブログ内での家族の呼称は夫が「わさ夫」、長女が「子わさ」(劇団仲間が命名)、次女が「わさ子」(ファンからのコメントをもとに水田本人が命名)。母親になり、仕事にも良い影響があり、子供は本を読む時、大人にはできない、独特の節回しがあるため、水田の子供を見て「子供の役が来たときには、こうしよう」と研究していたという[14]。 ドラえもん関連2005年、テレビ朝日系列のアニメ『ドラえもん(テレビ朝日版第2期)』で、大山のぶ代に代わり主人公のドラえもん役に抜擢される。師匠である先代ジャイアン役のたてかべ和也に声をかけられ応募したオーディションでつかんだ初の大役で、内定の瞬間、感極まって号泣したという[29]。 当時は知らない間にオーディションを受けており、ある時1人だけスタジオに呼ばれて、『ドラえもん』の台本のコピーを渡されて、「ちょっと、これ読んでみてくれる?」と言われた。リニューアル前の『ドラえもん』でも、男の子A、B役で出演していたため、「何かあったときのためにやっとくのかな?」くらいの軽い感覚で行っていた。それが『ドラえもん』の最初のオーディションで、後日、あれがオーディションだったと知らされて「もっとちゃんとやれば良かった~」と思ったくらいだった。オーディションでの収録時はひとりぼっちで、「スタッフさんもどこにいるの?」という感じで、ボイスサンプルを録るよりも質素な雰囲気だった。しかしそのためかリラックスできたといい、モノマネではなく自分の声でやることができたが、もし気張ってやっていたら、大山のぶ代のモノマネになっていたかもしれないという[30]。 オーディションは何回か受けており、同じテレビ朝日で放送されていたの『あたしンち』の収録の日に、「30分くらい早めにスタジオに入ってくれる?」と言われて行ったところ「もう一回、ドラえもんの声、やってくれる?」と言われ2次オーディションを受けた。その後3次、4次と進み、掛け合いの芝居もするようになり、最終オーディションに呼ばれて、芝居をして面接を受けていた。待合室で待っていたところ、ほかに受けていた声優が1人ずつ呼ばれて、水田だけ残されて「受かった人は、別の部屋に行ってるのか。早く帰りたいな」「『お疲れさまでした』と帰される」と思っていた。その時に扉が開いて、そこにカメラがあり「あなたです!!」と結果報告が出て、その画が夕方のニュースで流れていた。その時のオーディションの結果については、ドッキリカメラのような感じだったという[7][30]。 後で聞いたところ、このオーディションも舞台がきっかけで、『ドラえもん』の監督が、「劇団すごろくに変な女の子がいたよね?あの子の声、聞いておきたいから」と呼んでくれたという。監督も「君が残るとは思ってなかった」と言っていたが、水田自身も驚いていたという[30]。 このドラえもんは番組が公式に「わさドラ」と呼称している[28][30]。たてかべや大山らとは一緒に録ってはいないが、リニューアル前の『ドラえもん』においても「赤ちゃんほんやく機」での赤ちゃんなど、幾度にわたってゲストキャラクターの声を演じており、作品上での共演はあった。また、大山がドラえもんを演じた26年間で一度も声をあてることがなかった「耳のある黄色いドラえもん」にも声をあてている。 ドラえもんの役が決まった直後は、あまりプレッシャーを感じることはなかった。藤子・F・不二雄の原作45巻と『ドラえもん』関係の書物をたくさん読み、『ドラえもん』関連の取材に答えられなくてはいけないため、勉強する必要があった。玩具やCMなどのドラえもんの声も全部収録し直さなくていけず、あまりにも作業が多く、それに追われてプレッシャーを感じている間がなかった[30]。 リニューアル当初(水田がドラえもん役を引き継いだ2005年頃)は深く根付いた大山が演じるドラえもんからの急な転換に視聴者が戸惑い、自身へのバッシングを耳にしたことがあったという[29]。また、テレビでOAが始まっても、あまり実感が湧かなかったが、当時は「(ドラえもんを)クビになるかも」、「とりあえず半年続ければいいや。半年でクビになったら、それはそれで向いてなかったんだと思おう」と思っていた[29][30]。のび太役の大原めぐみ、しずか役のかかずゆみ、スネ夫役の関智一、ジャイアン役の木村昴とは「25年間続いた番組だから、多分いっぱい叩かれるよ。半年続けられたらいいよね」と話していた[29][30]。その後、水田が演じる映画ドラえもんシリーズ第1作『のび太の恐竜2006』(2006年)の制作が決まり「ドラえもんを続けさせてもらえるんだ」、「よし!!私、ドラえもんをやらせてもらえているんだ」と安堵したという[29][30]。このことから自身の思い出の映画シリーズに『のび太の恐竜2006』をあげている[29]。 それまでは「私はいつクビになるんだろう?」と怯える日々が結構あり、アフレコ現場は皆は温かかったが、時々背広を着てた偉いプロデューサーに色々注意をされていた。ハッパをかけられると現場がピリっとして、水田も「はい、頑張ります!!」と答えていた。藤子・F・不二雄の原作を読み返したり、CDで藤子・F・不二雄の話を聞いたりして、新たな気持ちで取り組むことができた[30]。 『ドラえもん』の現場を通して、5人で泣いた日もあり、色々な困難を乗り越えてきていたため、キャスト5人の絆は非常に強くなった。表向きは主演の水田が座長だが、関智一が真の座長で裏ボスであるといい、迷ったりつまづいたりしていると、必ず関が電話を掛けてきて「わさドラだったら、こうするんじゃない?」と適格なアドバイスを貰っていた。関とはつき合いも古く、『ドラえもん』でも共演しているのは、水田にとっては心強い限りで、ときどき「関さんじゃなかったら、私は誰を頼ってたんだろう?」と思ってしまうくらいだったという[30]。 『ドラえもん』を子供と一緒に観ていたところ、「子供って、こういう描写が好きなんだ」と一番リアルに視聴者の反応を見られており、その辺は助けられているという[14]。 リニューアルから年月が過ぎるにつれ、少しずつ水田が演じるドラえもんが定着し、現代の子どもたちを中心に「ドラえもん(の声)=水田わさび」となっている[31]。2019年にアニメ放送40周年[32]、2020年にリニューアル15周年そして原作50周年を迎え、ドラえもんの声を演じ続けている[33]。 出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
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