殉国七士廟
殉国七士廟(じゅんこくしちしびょう)は、愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山にある廟。東京裁判の判決によって処刑された7名の軍人・政治家を祀っている。高さ5メートル程の石碑に「殉国七士墓」と、岸信介の揮毫が彫られている。7人の遺骨は実際に碑石の下に埋まっているとされている。[1] 由緒弁護士の三文字正平は、1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約締結と同時に廟の建設運動を開始した。1958年(昭和28年)4月28日、東京の日比谷で開かれた極東国際軍事裁判弁護団解散記念会で墓碑建設が正式に発表された。 公表後、地元の形原町役場(現在の蒲郡市西部市民センター)には、「明るく楽しい観光地におくとは何事だ。平和な三河山頂に、暗い恥ずかしい思い出につながる記念碑を建てるのは、許すことは出来ない」などといった投書が殺到し、アメリカ合衆国国務省も廟の建設に懸念を表したが[2]、幡豆町側の「一躍有名になれば観光価値からいっても上々だ」という意見もあり[2]、1960年(昭和35年)6月29日に廟が建設され、同年8月16日に墓前祭が実現した。 被祀者軍人文官交通有料道路三ヶ根山スカイライン内にある。公共交通機関は無いため、自動車で行く必要がある。ただし、三ヶ根山自体は低山ハイキングの対象となる山なので、近隣の鉄道駅から歩いたハイカーも訪れる場所である。
注釈参考文献
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