桜井 皇子(さくらい の みこ、欽明天皇21年(560年)前後? - 用明天皇2年(587年)?)は、古墳時代終末期の皇族。欽明天皇と妃蘇我堅塩媛(蘇我稲目の女)の第六皇子。用明天皇・推古天皇の同母弟。吉備姫王(皇極=斉明天皇・孝徳天皇の母)の父。桜井之玄王(さくらい の ゆみはり の みこ)とも。
家来の桜井部犬が物部氏に味方していたことなどから、587年の丁未の乱で物部氏に味方し、戦死したと思われる[要出典]が、詳細は不明。
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