板倉勝承
板倉 勝承(いたくら かつつぐ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国福島藩4代藩主。官位は従五位下・内膳正。重昌流板倉家第7代。 生涯板倉勝里の長男として誕生した。寛保3年(1743年)、父の死により家督を相続する。 延享2年(1745年)、福島三万石騒動と呼ばれる一揆が発生する。その後も、切米騒動などに悩まされる。明和元年(1764年)には、城代家老の松原克昌に財政上の失態があり、幕府から閉門処分を受けた。明和2年(1765年)に死去した。男子がなく、跡を弟の勝任が継いだ。 系譜父母 正室
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