松平勝全
松平 勝全(まつだいら かつたけ[1][2])は、江戸時代中期の大名。下総国多古藩4代藩主。官位は従五位下・豊前守。 生涯寛延3年(1750年)10月27日[1]、3代藩主・松平勝尹の長男として誕生[1][2]。明和5年(1768年)5月24日、父の死去により家督を継ぐ[2]。同年6月1日に徳川家治に御目見し[2]、同年12月18日に従五位下・豊前守に叙位・任官する[4]。明和6年(1769年)2月15日、はじめて領地に赴く暇を得る[3]。 安永9年(1780年)に大坂加番に任じられ[5]、寛政2年(1790年)3月から寛政5年(1793年)4月まで江戸城馬場先門番を務めた[要出典]。寛政6年(1794年)10月6日[3]、病気を理由に[5]家督を次男の勝升に譲って隠居する[3]。寛政8年(1796年)2月3日に死去した[3][1]。享年47[3][1]。 系譜特記事項のない限り、『寛政重修諸家譜』による[4]。子の続柄の後に記した ( ) 内の数字は、『寛政譜』の記載順。 脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |