東広樹
東 広樹(あずま ひろき、1982年4月28日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 来歴選手時代主にサイドバックでプレー。 京都パープルサンガユース、阪南大学を経て、2005年に四国サッカーリーグの愛媛しまなみFC(現・FC今治)に加入。背番号は2。 その後、「仕事が忙しくサッカーに全然集中できなかった」ため、1年で同チームを辞める。 2006年に、佐川急便京都サッカー部を母体として滋賀県に移転したばかりのFC Mi-OびわこKusatsu(現・MIOびわこ滋賀)に移籍。背番号は6。 指導者時代2006年に現役を引退し、2007年よりFC Mi-OびわこKusatsuのコーチに就任。中尾幸太郎、戸塚哲也、平岡直起と監督が変わる中、選手と監督のつなぎ役として貢献する。 チームがJFLに昇格した2008年9月に平岡直起の解任を受け、チームの監督代行に就任する。代行とはいえ、26歳(当時JFL最年少監督)、C級指導者ライセンスでのJFL監督就任は異例といえる。9試合を指揮し、2勝2分5敗。守備が崩壊していたチームを、終盤5試合は4失点と立て直した。 2009年、和田治雄の監督就任に伴い、再びコーチへ。この年に日本サッカー協会公認B級指導者ライセンスを取得。 2010年10月、和田治雄の解任を受け、再び監督代行に就任。6試合を指揮し、5勝1分。残留争いをしていたチームは優勝決定直後のガイナーレ鳥取を5-0で破るなど無敗でJFL残留を成し遂げた。 2011年も引き続き監督を続投。初めて年間を通して指揮するも、前年から多くの選手が入れ替わったチームは苦戦。チーム歴代最多の65失点を喫し13位。 2012年は、運動量の多いハイプレス戦術が浸透し、8位でシーズンを終えた。 2014年7月、MIOびわこ滋賀監督を退任し、同クラブ強化部長補佐兼任コーチに就任[2]。 2022年10月、大槻紘士監督の解任に伴い、MIOびわこ滋賀監督に三度目の就任[3]。 2023年1月31日、MIOびわこ滋賀から改称したレイラック滋賀FCのアシスタントコーチに就任した[4]。 指導者としての特徴・エピソード
所属クラブ
指導歴
脚注
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