本多忠直 (大和国郡山藩主)
本多 忠直(ほんだ ただなお)は、江戸時代中期の大名。大和国郡山藩の第3代藩主。官位は従五位下・越中守、信濃守。 略歴第2代藩主・本多忠常の兄に当たる大名(忠直の出生当時は浅川藩主)本多忠晴の長男として誕生した。幼名は大藤。 元禄15年(1702年)12月18日、従五位下、越中守に叙任される。宝永4年(1707年)10月10日、叔父の忠常の養嗣子となり、同年12月12日に信濃守に任官される。宝永6年(1709年)の忠常の死去により跡を継いだ。 享保2年(1717年)5月8日、48歳で死去し、跡を次男の忠村が継いだ。法号は遷妙院殿顕忠日直大居士。墓所は山梨県南巨摩郡身延町の身延山久遠寺。 系譜脚注 |