本多助盈
本多 助盈(ほんだ すけみつ)は、信濃飯山藩の第4代藩主。広孝系本多家8代。 生涯享保3年(1718年)5月、旗本の本多利紀(本多忠利の十男・本多利政の子孫)の長男として生まれる。元文2年(1737年)に飯山藩第3代藩主の本多助有が死去し、実子がなかったため、助有の養子に迎えられて家督を継いだ。12月には従五位下・相模守に叙位・任官する。 藩政では寛保2年(1742年)に大水害により、大被害を受けている。また、大坂加番や奏者番を歴任した。安永2年(1773年)頃から病に倒れ、安永3年(1774年)2月5日に死去した。享年57。 嫡子の助之が早世したため、助之の長男・助受を養子に迎えて跡を継がせた。 系譜父母 正室
子女 養子
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