木村 有恒(きむら ありつね、1851年8月19日(嘉永4年7月23日)[1] - 1920年5月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
徳島県(阿波国)出身。明治5年3月25日(1872年5月2日)、陸軍少尉任官。
1894年(明治27年)8月、歩兵第3連隊長に就任し日清戦争に出征。旅順口の戦い、牛荘作戦などに参戦。1897年(明治30年)10月、歩兵大佐に昇進。1901年(明治34年)5月、陸軍少将に進級し歩兵第16旅団長となる。1903年(明治36年)7月、台湾守備混成第1旅団長に転任。
1904年(明治37年)10月、近衛歩兵第1旅団長となり日露戦争に出征。第1軍隷下として沙河会戦以降の諸戦に参加した。1907年(明治40年)11月、陸軍中将に進み新設の第18師団長に親補された。1912年(明治45年)5月13日、予備役に編入された[2]。1914年4月1日に後備役となる[3]。1918年4月1日に退役した[4]。
栄典
- 位階
- 勲章等
親族
脚注
- ^ 木村有恒 (第4版 大正4(1915)年1月 の情報) - 人事興信録データベース
- ^ 『官報』第8668号、明治45年5月14日。
- ^ 『官報』第515号、大正3年4月20日。
- ^ 『官報』第1702号、大正7年4月9日。
- ^ 『官報』第5475号「叙任及辞令」1901年10月1日。
- ^ 『官報』第7012号「叙任及辞令」1906年11月12日。
- ^ 『官報』第8684号「叙任及辞令」1912年6月1日。
- ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
- ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
- ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
- ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。