木俣秋水木俣 秋水(きまた しゅうすい、1912年4月3日 - 1991年4月26日[1])は、日本のジャーナリスト、政治家。息子は『文藝春秋』編集長などを務めた木俣正剛[2]。 人物・来歴京都府出身。嵯峨高等小学校卒。1942年「京都日日新聞(のち京都新聞)」記者。45年論説委員をへて、1951年京都市議に当選、68年から69年まで議長、自民党京都府連幹事長も務めた。市議に連続10期在職し、当時京都府議だった野中広務とともに、蜷川虎三の革新府政に対峙した[3]。91年春に引退の意向を示していたが、阪急烏丸駅で転落して電車にひかれ死去した。 栄典著書
脚注
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