朝倉鉄蔵朝倉 鉄蔵(旧字体:朝󠄁倉 鐵藏、あさくら てつぞう、1849年10月24日(嘉永2年9月9日[1])- 1935年(昭和10年)12月5日[2][3])は、明治から大正期の養蚕家、実業家、政治家。衆議院議員、福島県会議長、福島県伊達郡立子山村長。 経歴陸奥国伊達郡立子山村(福島県[3]伊達郡立木村、立子山村[4]を経て現福島市立子山)で豪農[2]の家に生まれる。漢籍を修めた[3][4]。農蚕業を営む[3][4]。 自由民権運動に加わり、河野広中と共に活動を行う[2]。伊達郡会議員、同議長、福島県会議員、同議長、立子山村長などを務めた[2][3][4]。 また、産業振興に尽力し[2]、福島共同荷造所を設立し、伊達郡、信夫郡、安達郡の三郡の生糸の品質を統一して輸出を行い[2]、川俣羽二重の振興のため福島県絹織物組合組長に就任した[2][3][4]。 1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(福島県郡部、憲政本党)で当選し[5]、衆議院議員に1期在任した[3][4]。 脚注参考文献
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