星野大地
星野 大地(ほしの だいち、1993年3月13日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(投手)。 実兄は元東京ヤクルトスワローズの星野雄大。 経歴プロ入り前1993年3月13日岡山市で生まれた。 岡山市立平福小学校で1年生からソフトボールを始め、小学校4年生時に野球へ転向。 岡山市立福浜中学校に進学後、軟式野球部に所属し主に捕手としてプレーしていた[1]。 岡山東商高に進学すると、2年時の春に捕手から投手へ転向。秋に本格転向し、控え投手ではあったがリリーフとして中国大会8強入りに貢献。3年時の春は県大会優勝、中国大会4強入りと力を着け、夏に期待がかかったが岡山県予選準々決勝で敗退。甲子園出場は果たせなかった。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受ける[2]。 年末のメディカルチェックで右肘側副靱帯の損傷が判明した[3]。 プロ入り後2011年、新人合同自主トレを1月14日まで参加した。1月18日に群馬県内の病院で右肘関節の内側側副靭帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた[4]。同年はリハビリに費やし実戦登板はなかった。 2012年、4月2日、三軍の対履正社学園(社会人野球)戦で9回から登板し1回を3者凡退に抑えて実戦復帰を果たした[5]。5月3日、ウエスタン・リーグ対広島東洋カープ戦に6回から2番手で二軍公式戦初登板し、2回を投げ1失点だった[6]。同年の二軍公式戦出場はこの1試合のみに終わった。5月12日に三軍の対高知ファイティングドッグス戦で先発して7イニングを投げ2失点に抑えた。最終的に三軍で22試合に登板し、42回1/3を投げ防御率4.04、WHIP1.51を残した。 2013年、春季キャンプはB組で迎えたが、A組の紅白戦に呼ばれ、先頭中原恵司に四球を出したものの城所龍磨、金子圭輔から三振を奪い打者3人を無失点に抑えてアピールした[7]。開幕から二軍の守護神を務め、4月23日までの9試合12イニングで防御率0.00、WHIP0.83、1勝5セーブと好成績を挙げていたため4月25日に一軍へ昇格した。同日の対北海道日本ハムファイターズ戦で9回5点ビハインドからクリーンナップを迎えて6番手でプロ初登板し、小谷野栄一をピッチャーゴロ、中田翔に四球、ミチェル・アブレイユを併殺に打ち取り1回を無失点に抑えた[8]。その後2度抹消され、6月28日に再昇格。6月30日か5試合登板し、うち3試合で失点し8月2日に再び二軍降格された。その間7月18日に秋田こまちスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームにも出場した[9]。9月5日に再昇格して同日の試合に出たが無死三塁から3失点し翌9月6日に二軍へ降格。一軍出場は7試合に終わった。二軍では34試合に出場し16セーブ(リーグ2位)を挙げたが防御率は4.85、WHIP1.59だった[10]。オフはプエルトリコのウィンターリーグに派遣され、11月3日から12月18日までの16試合に中継ぎとして出場し、0勝1敗5セーブ5ホールド、防御率2.82、WHIP0.90の成績を残した[11][12]。 2014年、5月20日に一軍昇格したが登板機会なく5月25日に抹消。8月16日に再昇格、対埼玉西武ライオンズ戦の2試合で僅差ビハインドから登板し無失点と好投。8月22日の対千葉ロッテマリーンズ戦では延長11回同点・クリーンナップからの場面に抜擢されたが、二死一二塁とした所で7番今江敏晃に投じたフォークボールが抜けてサヨナラ打を浴び、プロ入り初黒星を喫した[13][14]。9月4日に二軍降格となり、同年の一軍出場は4試合に終わった。二軍では33試合に出場し、防御率4.20、WHIP1.48だった。 2015年、春季キャンプはA組に抜擢[15]、オープン戦でも4試合に中継ぎで投げ、1勝0敗2セーブを挙げたが[16]、開幕一軍登録とはならなかった。シーズン中は右肩痛など度重なる故障に見舞われて、一軍登板はなく、ウエスタン・リーグでも僅か4試合の登板しかなかった[17]。 2016年、オープン戦においての登板なしで開幕を迎え、今シーズンも一軍での登板はなかったが[18]、ウエスタン・リーグにおいて、42試合に登板し、50回2/3を投げ、2勝3敗4セーブの成績を残した[19]。 2017年、4月に腰を負傷したため、一軍公式戦への出場機会はなく、二軍戦で6試合の登板[20] 、三軍戦においても僅か8試合の登板にとどまった[21]。10月3日に球団から戦力外通告を受けた[22]。奇しくも、兄の星野雄大(ヤクルト)も同じ日に戦力外通告を受けている。 現役引退後戦力外通告後は野球からは離れ、岡山東商高時代に取得した情報処理の資格を生かし、ソフトバンク本社の社員として再出発する[23]。 2019年よりSUNホールディングスのコーチに就任したが[24]、現在は退団している。 選手としての特徴・人物最速153km/h[25]で伸びのあるストレートを中心にスライダー、フォークボール、時折混ぜるカーブで攻めるオーソドックスなスタイルで、絶対的に武器になる球種があるわけではない[7]。2013年の春季キャンプではチェンジアップを使い三振を奪った[26]。2014年の秋季キャンプから縦に落ちる速いカーブ(ホシボール)のような変化球の習得に取り組んだ[27]。気持ちを前面に押し出す投球が持ち味である[28]。 入団当初は先発への憧れもあったが、抑えとして試合を締めることに魅力を感じるようになった[7]。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
登場曲脚注
関連項目外部リンク
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