早瀬利雄早瀬 利雄(はやせ としお、明治36年(1903年)12月2日 - 昭和59年(1984年)1月2日)は、日本の社会学者。横浜市立大学名誉教授。 人物・経歴兵庫県洲本市生まれ[1]。兵庫県立洲本中学校(現兵庫県立洲本高等学校)を経て、1925年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業[2]。1928年東京商科大学(現一橋大学)卒業[1]。 東京商科大学補手[3]、巣鴨高等商業学校(現千葉商科大学)教授を経て[4]、1931年横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)教授[5]。 1934年叙正七位[6]。1936年叙従六位[7]。1938年全国高商文化聯合会副会長。同年小原敬士とともに治安維持法違反で寿町警察署に連行され[8]、1940年から休職となり[9]、1942年に懲役2年執行猶予4年の裁判が確定し失職し[10]、大倉精神文化研究所員となった[11]。 第二次世界大戦後、1959年に日本大学から文学博士の学位を取得し[12]、横浜市立大学教授、同大学名誉教授[1]、日本大学教授を経て[13]、1973年帝京大学教授[1][14]。1977年正六位勲三等旭日中綬章受章[15][14]。1984年叙従四位[16]、叙正四位[17]。 著書
編書
脚注
|