患者の権利
患者の権利(かんじゃのけんり、英: Patients' rights、英: Patient's bill of rights - 患者の権利章典)とは、医療を受ける人の権利、またはそれを列挙したもの。これは法律の形をとる場合もあれば、拘束力のない宣言の形をとる場合もある。一般的に、他の基本的人権の中でもとりわけ、患者自身の情報についての決定権や、公正な治療を受ける権利、さらに医学的決定についての自主権(自己決定権)などを保障するものとなっている。 用語「患者の権利」との一般表現の他に、様々な用法・固有の名称があり、混乱が見られるため以下に整理する。 患者の権利章典患者の権利章典(Patient's Bill of Rights)とは、1973年にアメリカ病院協会(AHA)が、アメリカ合衆国憲法における人権章典を意識して採択した患者の権利を列挙したもの。日本の各医療機関でもそれに倣って似たような「患者権利章典」を掲げているが、アメリカでは患者の権利について社会的認知も高く、既に法制度化されており、実質的な効果にも疑問が見られたことから、既に2003年に「治療におけるパートナーシップ(The Patient Care Partnership)」[1]によって置き換えられている。これは分かり易いパンフレット形式になっておりAHAのサイトからダウンロードも可能となっている。一方、日本では患者の権利について社会的認知も低く法制度もないため、日本の医療機関においてそれに呼応する動きはほぼ見られていない[2]。 患者の権利憲章患者の権利憲章(Patient's Charter)とは、イギリス政府の患者憲章。これを元に、日本の医療機関でも「患者の権利憲章」として「患者の権利章典」と同じ意味合いで使用されている。患者憲章自体は既に2013年、NHS憲章(NHS Constitution)に吸収及び法制化され、置き換えられている。 患者の権利宣言(世界医師会)患者の権利宣言(Declaration of Lisbon on the Rights of the Patient)とは、世界医師会が発行した医療者が守るべき「患者の権利に関するリスボン宣言」のこと。ただ、日本医師会は改訂版採択時に唯一棄権している。 患者の権利宣言(WHO)世界保健機関(WHO)による1994年の「ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言(A declaration on the promotion of patients' rights in Europe)」[3]のことであり、また、英語圏で「患者の権利宣言」という場合はWHOによる「患者の権利(Patients' rights)」[4]の方が一般的である。 患者の権利確立宣言(日弁連)日本弁護士連合会が1992年11月6日に出した「患者の権利の確立に関する宣言」[5]。これは一見「権利が確立した宣言」にも読めるが、その内容は「権利であることを認め、法制化を求める宣言」となっている。 患者の権利法患者の権利を定めた各国の法制度を総称する場合もあるが、日本においては、患者の権利の法制化を求めて活動している市民団体「患者の権利法をつくる会」や日本弁護士連合会が、患者の権利を保障するため法制化を訴えて発表している法律案[6]のことを「患者の権利法」と言う場合がある。 歴史→「臨床研究倫理 § 歴史」も参照
患者の権利の歴史は「ニュルンベルク綱領」から始まるというのが通説[7]である。第2次世界大戦のナチス・ドイツによるホロコーストの元となった、医師たち主導による強制安楽死(T4作戦)、人体実験などが、非倫理的な人体実験、反人道的な犯罪としてニュルンベルクの医者裁判で裁かれた結果である。その後、世界医師会はその対応として、医者倫理を更新した「ジュネーブ宣言(数度改訂)」、「医の倫理の国際綱領」、ヒト対象の研究倫理に関する「ヘルシンキ宣言(数度改訂)」そして、「患者の権利に関するリスボン宣言」(2005年にかけて何度か改訂)[7]、「東京宣言」で、残虐または非人間的な取り扱いと処罰について医師の為の倫理ガイドラインを定めた[7]。 アメリカでは、戦後の人権運動の高まりと共に、「『医師任せ』になりがちな医療について、宗教家や倫理学者をはじめ多くの分野の学者たちが、学際的な研究を始め、『なぜ医師たちが積極的・独善的に一段高い所から患者たちに決めた医療を押しつけるようになったのか』の研究をした結果、「医療の専門家であるという奢りから、患者に対して『知らしむべからず依らしむべし』というパターナリズム(父権主義)の態度をとるようになったと解釈し、医師は患者に分かるように十分に説明した上で、患者が理解して自分で選択した医療を受けられるようにするべきだという主張をする運動に発展」[8]という。 1960年代には、病院において患者に対し無断で不要な人体実験を研究として慣習的に行っていたことが明らかになり(「倫理と臨床研究(ビーチャー論文)」)、アメリカでは70年代に「タスキギー梅毒実験事件」も発覚、社会的に衝撃を与え「患者の人権運動」がますます盛んになるきっかけとなり、欧米では患者保護と権利確立のための法整備がなされていった[8]。 現代では、後述するような各国の法制度のみならず、WHOやEU、国連といった国際機関として患者の権利擁護の国際条約も存在し、国際的には非常に活発である[7]。 以下に簡易年表を記す。
[7] ・・・ 日本日本には患者の権利について包括的に定めた法律はない[9]。 日本弁護士連合会は、2011年10月6日第54回人権擁護大会の声明において、「我々の何よりも大切な命を守るために、医療は必要不可欠であり、誰もが等しく、安全で質の高い医療を受けることができなければならない。同時に、その医療は人間の尊厳を守り、我々が幸せな人生を送ることに資するものでなければならない」「ところが、我が国には、このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない」「そのような中で、今日、我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え、患者の権利が十分に保障されていない状況にある」「ところが、いまだ、患者の権利に関する法律は制定されていない」...「日本医師会生命倫理懇談会による1990年の『説明と同意』についての報告もこうした流れを受けたものではあるが、『説明と同意』という訳語は、インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず、むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものである」と批判している[9]。 「患者の権利法をつくる会」常任世話人の弁護士は「そもそも医療制度の目的を規定した法律が日本にないのがおかしい。医療制度とは特定の誰かの健康を守るのではなく、等しく患者の人権を守るためにある。具体的には、最善かつ安全な医療を受ける権利、インフォームドコンセントによる自己決定権、差別を受けない権利など」[10]とした。 なお、包括的な法として「医療基本法」の制定を目指す[11]、とし、2019年2月6日「医療基本法の超党派議連」が設立総会を開いた[12]。 患者の権利法 (法制化運動)も参照。 日本における特記事項日本においては、戦中の医師による非人道的な人体実験はもとより、戦後においてもハンセン病問題での扱いを含めた「旧優生保護法における強制不妊手術問題[13]」や富士見産婦人科病院事件が存在した。また、少なくとも昭和や平成初期まで、入院して手術などを行う際、医師が患者から高額な現金を受け取るといった医療倫理にもとる慣行も当たり前のように行われていた。 2016年には、聖マリアンナ医科大学病院において臨床研究の倫理指針に反する数々の不正が行われていたことが読売新聞にスクープ[14]される事件も起きている。日本においては、臨床試験に対する監督体制が不十分であり、倫理審査が法令で義務づけられているのは製薬会社などの医薬品治験だけで、日本製の医薬品を国際基準に適合させるための治験審査委員会のみとなっている[15]。 これに対し、日弁連は1980年(昭和55年)より、「わが国医学会の対応は極めて鈍い。わが国でも、例えば、名古屋市立医科大学小児科の乳児院収容児人体実験事件に対する日弁連人権委員会の警告(一九五五年)、新潟大学医学部恙虫病人体実験事件に対する日弁連人権擁護委員会の警告(一九五七年)、新薬キセナラミン事件に対する法務局の勧告(一九六七年)、広島大学原爆放射能医学研究所の癌の人体実験に対する日弁連人権擁護委員会の警告(一九七0年)、いわゆる和田心臓移植事件に対する日弁連第一四回人権擁護大会における宣言、提案など、貴重な反省材料があるにもかかわらず、精神神経学会理事会の例を除けば人体実験の準則すら定立されていない。人体実験の第三者審査委員会制度については、未だに一顧だにされていない、わずかに、新薬のいわゆる臨床試験について、極めて限られた大学病院などにおいて、一種の第三者審査制度が設けられてはいるが、その第三者性は弱く、また被験者の承諾についての法的審査は殆ど行われていない」ため「ヘルシンキ宣言の遵守を義務づけることを求める」としていた[16]。「第三者審査制度」とは、ヘルシンキ宣言や他の国際的な基準に定められている「倫理委員会」の制度を指す。 その為、日本医師会もこれには問題であるとして「日本のGCP省令は、薬事法第2条第7項に定める『治験』と呼ばれる臨床研究に限って規制対象としている点である」とし、「わが国では薬事法の対象となる臨床試験/研究を、わが国独自の概念である『治験』に限定し、それ以外の臨床研究は法律上無関係ということにしてしまったのである。そのため、折角薬事法の改正までしてGCP基準を導入しながら、欧米先進諸国とは異なり、いわゆる『治験』以外の臨床研究をGCPの対象外とすることによって、わが国の臨床研究の規制に、大きな抜け穴を残すことになった。横浜合意から約7年経過した平成15(2003)年7月、厚生労働省は治験以外の臨床研究を対象とする『臨床研究に関する倫理指針』なるものを、法律上の根拠無しに制定・公布したが、ICH-GCP基準とは似て非なるもので、2008年の登録制度の導入など、その後の改訂内容を考慮しても、ICH-GCPが示した人間を対象とする臨床研究(試験)の際のデータの信頼性と被験者の人権保障を確保するための国際的な公的基準からはほど遠く、悪しき意味でのダブル・スタンダードを国自体が容認しているといわざるを得ない。近年、薬事法対象外の臨床研究を巡りデータ改ざん問題が頻発しているが、ICH-GCPというデータの信頼性確保と患者・被験者の人権擁護のための国際的基準の採用に合意しながら、新薬の治験以外の臨床研究を対象外として自ら規制しないばかりか、依然としてダブル・スタンダードを容認し続ける当局者の無責任な対応が、温床になっていることを改めて指摘したい」[17]としている。 このように、患者の権利が明確に法律で確立されておらず、監督体制も不十分なために、様々な問題が起きうる。一例をあげれば、2019年4月18日、病院が、事前に説明なく、脳死して肺を臓器提供した男児(当時1才)の移植手術の様子を撮影させ、それがテレビ番組で放送されたとして両親がテレビ局を提訴した[18]。現在でも患者の同意を得ずに治療や手術において研修医や医学生に対する講義の対象として患者を扱うケースも普通にみられている。 元来、自己決定権という西洋由来の個の概念に対してなじみや権利意識もまだ薄く、インフォームド・コンセントの正しい理解も進んでおらず、いまだパターナリズムが色濃く残る「説明と同意」という概念しか法的に定められていない。結果として多くの病院においては「患者に意思確認を行えば医療行為が正当化されるという部分だけに着目し、医療側の免責要件」つまり「手術で思わぬ副作用や合併症がおきる可能性がありますが責任を負う事は出来ません」というような単なる「免責事項同意書」のような扱いにしかなっていない現状がある[19]。 各国の法制度後述するイギリスをはじめ、1992年にはフィンランドで独立した「患者の権利法」が誕生し、1990年代後半からは、北欧、旧東欧諸国をはじめ、ヨーロッパ各国に次々と患者の権利法が成立している[7]。 イギリス→詳細は「患者憲章」を参照
イギリスでは、患者憲章(患者権利章典)が1991年に政府の公式文書として導入され、以降そのつど改訂されてきた。2013年にはNHS憲章(NHS Constitution)に組み込まれ、置き換えられている。 スコットランド「スコットランド患者権利法(Patient Rights (Scotland) Act 2011)」は、2011年2月24日にスコットランド議会で可決され、2011年3月31日に王立同意書を受け取った。この憲章は2012年10月に発行されている[20]。 ニュージーランドニュージーランドにおける患者の権利は、「Health and Disability Commissioner Act 1994」法により定められている。 台湾「病人自主權利法(患者の自主権利法)[21]」が制定されている。 アメリカ米国においては、以前より「患者の自己決定権法」やその他判例において患者の権利を担保する様々な法律が連邦法・州法として存在してきた。2001年以降も、さらなる患者の法的権利をより強化するための法案を可決する試みがなされている。 2001年の法案米国議会は、2001年に患者の権利を保護することを目的とした法案を起案。エドワード・ケネディ上院議員とジョン・マケイン上院議員が後援した「超党派による患者の権利法(Bipartisan Patients' Bill Of Rights Act)」( S.1052 )には、医療保険機関が保証なければならないことに関する新しい規則が含まれている。要介護を否定された場合、州や連邦政府の法廷で訴えることが出来る旨も含まれている[22]。 アメリカ合衆国下院とアメリカ合衆国上院はそれぞれ、提案された法律の異なるバージョンを可決した。両法案は患者に緊急治療や医療専門家への迅速なアクセスなどの主要な権利を与えていたが、上院議会で可決された措置だけが患者に権利を行使するための適切な手段を提供するものであった。上院の提案は、患者に広範な権利を授与したものであった。 この法案は2001年に米国上院で59-36票で可決され[23]、その後下院で修正され、再度上院に戻された。しかし、最終的には合意に達せず失敗している。 業界の抵抗ウェンデル・ポッター社(Wendell Potter)元上級幹部[24](保険業界の内部告発をしたことで知られる)は、保険業界は利益増大を妨げるいかなる改革にも抵抗し反対するために様々な働きかけを行ったと主張。実際、1998年に患者の権利保護法案を廃止させた過去の成功が知られている。
患者安全およびその質促進法関連として、アメリカでは「患者安全およびその質促進法(en:Patient Safety and Quality Improvement Act)」が制定されている。これは、チャールズ・カレン(ヘルスケア・シリアルキラー)の患者連続殺人事件をきっかけとして、患者の安全を図るための法である。
などの法整備(患者安全法およびその増進法)が行われている。一方、日本では大口病院連続点滴中毒死事件以後も、特段このような動きは見られていない。 インドインドの国家人権委員会は、保健家族福祉省 (MOHFW)の指示の下、2018年に患者の権利憲章を起草した。臨床施設評議会の勧告に従い、MOHFWは2018年8月にパブリックドメインで草案を提出し、コメントや提案を行った[26]。この憲章は、以前はインド憲法、1940年の医薬品化粧品法、2010年の臨床確立法、そしてインド最高裁判所によるさまざまな判決など、患者の権利に関連するさまざまな規定を利用したものとなっている。 認められた患者の権利患者の権利憲章は、患者が受けるべき17の権利をリストアップしている[27]。
この憲章は、Patient_Charter-DMAI_NABHでパブリックドメインとして誰でも利用可能である。 関連項目関連概念
関連権利関連法規倫理原則関連問題参考文献
外部リンク
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