忠穆王
忠穆王(ちゅうもくおう、1337年 - 1348年)は第29代高麗王(在位:1344年 - 1348年)。姓は王、名は昕。蒙古名は八思麻朶児只(パドマ・ドルジ、モンゴル語:ᠪᠠᠳᠮᠠᠳᠣᠷᠵᠢ、Padma dorji)[1]。諡号は忠穆顕孝大王。忠恵王の嫡子。母は元の皇族である徳寧公主。 世子として禿魯花(人質)に行き、父の死去に伴い1344年に8歳で王位に就き、12歳で死亡した。 開府儀同三司・征東行中書省左丞相・上柱国・高麗国王に封じられている。 関連項目脚注 |
忠穆王
忠穆王(ちゅうもくおう、1337年 - 1348年)は第29代高麗王(在位:1344年 - 1348年)。姓は王、名は昕。蒙古名は八思麻朶児只(パドマ・ドルジ、モンゴル語:ᠪᠠᠳᠮᠠᠳᠣᠷᠵᠢ、Padma dorji)[1]。諡号は忠穆顕孝大王。忠恵王の嫡子。母は元の皇族である徳寧公主。 世子として禿魯花(人質)に行き、父の死去に伴い1344年に8歳で王位に就き、12歳で死亡した。 開府儀同三司・征東行中書省左丞相・上柱国・高麗国王に封じられている。 関連項目脚注 |