Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

建部政周

 
建部政周
時代 江戸時代中期
生誕 延宝2年(1674年
死没 宝暦7年11月20日1757年12月30日
改名 庄九郎、政周、勝隠(号)
別名 又右衛門、主計(通称
墓所 京都市北区紫野の大徳寺芳春院
官位 従五位下丹波守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家継吉宗
播磨林田藩
氏族 建部氏
父母 父:建部政宇、母:不詳
養父:建部光成
兄弟 政辰政周、内藤忠種正室、猪飼晴光室、有馬氏倫正室
建部光成の養女
政民九鬼隆寛光之有馬光隆
テンプレートを表示

建部 政周(たけべ まさちか)は、江戸時代中期の大名播磨国林田藩の第4代藩主。官位従五位下丹波守

略歴

第3代藩主・建部政宇の次男として誕生した。幼名は庄九郎。通称は又右衛門、主計。

はじめ、建部光成の養嗣子となり、その養女と結婚した。しかし元禄16年(1703年)2月29日に兄の政辰が病弱により廃嫡されたため、本家に戻って世子となる。正徳5年(1715年)、父の死去により跡を継いだ。享保17年(1732年)9月23日、長男の政民に家督を譲って隠居し、勝隠と号した。

宝暦7年(1757年)11月20日、84歳で死去した。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院

系譜

Kembali kehalaman sebelumnya