建部政周
建部 政周(たけべ まさちか)は、江戸時代中期の大名。播磨国林田藩の第4代藩主。官位は従五位下・丹波守。 略歴第3代藩主・建部政宇の次男として誕生した。幼名は庄九郎。通称は又右衛門、主計。 はじめ、建部光成の養嗣子となり、その養女と結婚した。しかし元禄16年(1703年)2月29日に兄の政辰が病弱により廃嫡されたため、本家に戻って世子となる。正徳5年(1715年)、父の死去により跡を継いだ。享保17年(1732年)9月23日、長男の政民に家督を譲って隠居し、勝隠と号した。 宝暦7年(1757年)11月20日、84歳で死去した。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院。 系譜 |