山口県立岩国商業高等学校(やまぐちけんりつ いわくにしょうぎょう こうとうがっこう, Yamaguchi Prefectural Iwakuni Commercial High School)は、山口県岩国市平田に所在する県立の商業高等学校。略称「岩商(がんしょう)」。
同市日の出町に定時制の東分校がある。
概要
- 歴史
- 1918年(大正7年)に尋常高等小学校に併設される形で「岩国実業補習学校」が開校。1929年(昭和4年)「岩国町立岩国実業公民学校」として独立。その後商工学校、商業学校を経て1948年(昭和23年)の学制改革で新制高等学校となる。数回の改編・改称の後、1953年(昭和28年)に現校名となった。独立した1929年(昭和4年)を創立年としており、2014年(平成26年)に創立85周年を迎えた。
- 分校
- 「東分校」(定時制課程 普通科)- 〒740-0014 山口県岩国市日の出町1番60号(北緯34度10分6.3秒 東経132度13分52.2秒 / 北緯34.168417度 東経132.231167度 / 34.168417; 132.231167 (東分校))
- 設置課程・学科
- 全日制課程 2学科(本校)
- 定時制課程 1学科(東分校)
- 校訓
- 「誠実」- 1979年(昭和54年)に制定。また建学の精神を「自尊」としている。
- 校章
- 中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は河村操、作曲は熊谷幹雄による。
沿革
- 旧制・商業学校時代
- 1918年(大正7年)4月 - 岩国尋常高等小学校(現・岩国市立岩国小学校)に「岩国実業補習学校」が併設される。
- 1929年(昭和4年)4月 - 「岩国町立岩国実業公民学校」として独立。旧・玖珂郡役所を校舎にあてる。
- 1933年(昭和8年)11月 - 岩国町錦見山手小路(現・岩国中央公民館 所在地)に校舎を新設。
- 1935年(昭和10年)7月 - 「岩国町立岩国商工学校」の設立が認可される。
- 学校種類は「甲種」程度[1]で商業科と木材工芸科を設置。入学資格を高等小学校を卒業した14歳以上、修業年限を3年(現在の中3から高2に相当)とする。
- 1937年(昭和12年)4月 - 岩国町錦見山田に新校舎が完成し移転。
- 1939年(昭和14年)4月 - 商業科(尋常小学校を卒業した12歳以上の男子・修業年限5年)と工業科(機械・精密機械・電気・金属工業)を設置。木材工芸科を廃止。
- 1940年(昭和15年)
- 1月 - 工業科が分離の上、県立移管され「山口県立岩国工業学校」として独立。これにより「岩国町立岩国商業学校」に改称。工業学校へ校舎の一部を貸与。
- 4月 - 岩国市の発足により、「岩国市立岩国商業学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月 - 「岩国市立山口県岩国商業学校」と改称
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、岩国市立山口県岩国商業学校が廃校となる。
- 1・2・3年修了者(1941年(昭和16年)・1942年(昭和17年)・1943年(昭和18年)入学生)は山口県立岩国工業学校に移籍。
- 4年修了者(1940年(昭和16年)入学生は暫定措置として「山口県立岩国商業学校」を設立して収容(生徒募集は停止され、在校生は5年生のみ)。
- 1945年(昭和20年)3月 - 5年修了者の卒業とともに山口県立岩国商業学校が廃止される。
- 廃止後の校舎は「山口県立岩国高等家政女学校・山口県立岩国女子商業学校(後に「山口県立岩国第二女子高等学校」となる)」によって使用される。
- 1946年(昭和21年)
- 1月 - 終戦により「山口県立岩国商業学校」の設置が認可される。岩国工業学校の校舎を借用。山口県立岩国工業学校より希望者を復学編入を許可。また修業年限を5年に戻す(ただし4年で卒業することもできた)。
- 3月 - 第1回卒業式を挙行(工業学校から商業学校に復帰した4年生の卒業式)。
- 1947年(昭和22年)
- 4月 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 生徒募集を停止。
- 新制中学校が併設され(名称:山口県立岩国商業学校併設中学校、以下・併設中学校)、商業学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 5月 - 錦見山手小路に独立移転。
- 新制・商業高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により、商業学校は廃止され新制高等学校「山口県立岩国商業高等学校」が発足。
- 商業学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、商業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山口県立岩国商業高等学校併設中学校)、在校生が1941年(昭和21年)に商業学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 5月15日 - 定時制課程商業科を設置。定時制分校を2校(川下分校(家政科)・麻里布分校(商業科))を設置。
- 6月10日 - 麻里布分校を「麻里布第一分校」と改称。
- 9月3日 - 帝人岩国工場内に「麻里布第二分校」(電気科・家政科)を設立。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 4月1日 - 山口県立岩国第二女子高等学校[2]と統合の上、「山口県立岩国東高等学校」となる。普通科を設置。
- 麻里布第一分校を川下分校に統合し「第一分校」(商業科・家政科)と改称。麻里布第二分校を「第二分校」と改称。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 公立高校の再編が行われる。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 工業科が分離し山口県立岩国工業高等学校として独立。そのため「山口県立岩国商業高等学校」に復称。特別教室(新館)が完成。
- 1956年(昭和31年)8月 - 旧・山口県立岩国土木出張所庁舎跡地に特別教室(別館)を増設。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 第一分校を定時制中心校に統合。
- 1960年(昭和35年)3月 - 特別教室(新館)を増築。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 第二分校を「東分校」と改称。
- 1963年(昭和38年)4月 - 理科室が完成。
- 1964年(昭和39年)3月 - 商業実践室が完成。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 東分校の家政科を廃止。
- 1969年(昭和44年)3月 - 屋内運動場(体育館)が完成。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 経理科を設置。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 定時制中心校の商業科を廃止。
- 1975年(昭和50年)
- 3月 - 岩国市平田五丁目に新校舎(騒音防止対策校舎)第一期工事としてホームルーム棟が完成。
- 9月 - 新校舎で1年生の授業を開始。
- 1976年(昭和51年)
- 3月 - 旧校舎の解体を完了。新校舎管理棟・格技場・給食棟・部室等が完成。
- 4月 - 全学年が新校舎へ移転完了。旧校舎校門を新校舎に移設。旧校舎は山口県立岩陽高等学校が使用。
- 6月 - 吹奏楽部の部室が完成。
- 1977年(昭和52年)
- 2月 - 屋内運動場(体育館)・部室が完成。
- 3月 - 野球場が完成。
- 6月 - 正門が完成。
- 12月 - 中庭が完成。
- 1979年(昭和54年)
- 2月 - 校訓を制定。
- 4月1日 - 定時制中心校の募集を停止。
- 11月 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 1981年(昭和56年)
- 3月 - 定時制中心校を廃止し、東分校に統合。
- 9月 - プールが完成。
- 1982年(昭和57年)12月 - グラウンドの造成を完了。
- 1986年(昭和61年)3月 - 岩商会館(同窓会館)が完成。
- 1988年(昭和63年)4月 - 情報処理科を設置。
- 1989年(平成元年)
- 10月 - 建学の碑を建立。
- 12月 - 第一回プラザ岩商(販売実習)を開始。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 東分校に単位制を導入。また昼間部を新設し、昼間・夜間の2部制とする。
- 1998年(平成10年)12月 - 進入路が完成。
- 2000年(平成12年)7月 - 山東省済南第七職業中等専門学校と友好校協定を締結。
- 2001年(平成13年)4月 - 商業科・経理科・情報処理科の募集を停止し、総合ビジネス科と国際情報科を設置。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 商業科・経理科・情報処理科を廃止。
- 2012年(平成24年)2月 - 第一回文化祭を開始。
部活動
- 全日制課程(本校)
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- 運動部
- 文化部
- 定時制課程(東分校)
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- 運動部
- ソフトテニス部
- バスケットボール部
- 卓球部
- バドミントン部
- 柔道部
- 剣道部
- 陸上競技部
- 文化部
著名な出身者
交通
- 本校
- 東分校
- 最寄りのバス停 - 岩国市営バス 「恵比須神社」バス停
- 最寄りの鉄道駅 - JR西日本 山陽本線・岩徳線「岩国駅」
- 最寄りの道路 - 国道188号
周辺
- 本校
- 東分校
関連項目
脚注
- ^ 実業学校を参照。
- ^ 旧・山口県立岩国高等家政女学校・山口県立岩国女子商業学校。
外部リンク