小石祐馬
小石 祐馬(こいし ゆうま、1993年9月15日 - )は、日本の自転車競技(ロードレース)選手。 略歴アマチュア時代滋賀県大津市出身。12歳のときに父の仕事の関係で米国に引越し、友人の勧めで14歳から地元のSan Jose Bicycle Clubに所属してロードバイクレースをはじめる。2009年の全米ジュニア選手権ロードレース(15・16歳)で6位入賞[2]。2010年に帰国し、同志社国際高校に編入学。三船雅彦が監督を務めるTEAM MASSA・FOCUS・OUTDOORPRODUCTSに所属し、2011年のジュニア全日本選手権タイムトライアルでは2位となった[3]。その後同志社大学に進学するが、ベルギーを拠点とするチームユーラシアの一員としてヨーロッパでのレースに参戦した。2012年には主としてベルギーでのアマチュアレースに参加したが、UCIヨーロッパツアー(1.2)のグランプリ・デ・マルブリエに出走し、66位で完走した。レースに専念するために2016年3月に同志社大学を自主退学。 プロ転向後2013年2013年もベルギーのアマチュアレース中心に参戦し、Gaverstreek2日間レースで97位、Tour de Namurで70位、Kortrijk-Heuleで11位、Herzele-borsbekeで10位となった。Grand Prix des Hauts-de-Franceでは総合29位となった。同時にUCIヨーロッパツアー、UCIアジアツアーのレースにも参戦し、イギリスのRutland–Melton International CiCLE Classicではリタイアしたものの、ベルギーのCriquielion Grand Prixでは80位、日本のツール・ド・熊野では45位、フランスのGrand Prix de la ville de Pérenchiesでは35位、同グランプリ・デ・マルブリエはリタイアであった。 シーズン前半の成績が良好であったため、竹之内悠と共にベルギーのコンチネンタルチームであるColba - Superano Hamの研修生となった。プロとしてはドライヴェンクルス・オヴェライスがデビュー戦となったがリタイア、続くスハール・セルスもリタイアという結果となった。その後ツール・ド・北海道に参戦し総合31位で完走した。ベルギーでのプロフェッショナルフェア・レースにも参戦し、Kortemarkのレースでは25位となった。 2014年2014年のシーズンはコンチネンタルチームのヴィーニ・ファンティーニ・NIPPOに所属し、ステージレースを中心に参戦した。 新チームでの初戦となったベルギーの西フラーンデレン3日間レースは第2ステージでリタイア。続いて南アフリカのMzansi Tourで68位となった。ポーランドで行われたU-23ステージレースであるCarpathian Couriers Raceでは総合82位となったが、第5ステージはチームメイトのグロス・エドワードを上手くアシストし優勝させている[4]。同じポーランドのシュラキエム・グロドゥフ・ピアストヴキチュでは総合69位となった。その後UCIアジアツアーを転戦し、ツール・ド・熊野で総合43位、Tour de Koreaでは総合82位であったが、第5ステージでは逃げに乗って4位となった。初のカテゴリー超級レースとなった、中国の2週間ステージレースであるツアー・オブ・チンハイレイクでは総合109位で完走。ヨーロッパに戻り、Kreiz Breizh Elitesに参戦するが第1ステージでリタイア。その後ワンデーレース4戦に参戦してシーズンを終えた。シーズン中にいくつかのローカルレースにも参戦し、スペインのFestes del Turaで6位、Tour de la province de Valenceの第1ステージで6位、Tour de la province de ValenceTrophée des châteaux aux Milandesで30位となっている。 2015年U-23最後の年となる2015年のシーズンはCCT p/b Champion Systemに所属した。シーズン初戦はタイで開催されたU-23アジア選手権ロードレースで、残り1kmでの単独アタックが成功し優勝した[5]。これがプロとしての初勝利となった。タイムトライアルでも3位となった。その後ヨーロッパでのワンデイレースに8レース参戦した後、日本チームの一員としてU-23の国別対抗戦であるZLM Tourに参戦するが、第3ステージ中盤で横風での路肩走行で落車してレースをリタイヤ、他の日本チームも全員がリタイアという結果に終わった[6]。続くワンデーレースも2戦連続リタイアしたが、Ronde de l'Oise 3日間ステージレースで総合88位で完走した。6月の日本選手権U-23タイムトライアルで優勝[7]。単身参加のロードレースでは大学チームと競うことになり、最終周回でのアタックが一旦は成功したがゴール前で吸収され34位に終わった[8]。その後ヨーロッパに戻り、U-23のグラン・プレミオ・ディ・ポッジャーナでは9位、バルチック・チェーン・ツアー 3日間ステージレースで総合55位、ワンデイレース4戦に参加した後、9月に最終戦であるU-23世界選手権に日本チームのエースとして臨んだ。しかしながら、タイムトライアルでは落車してしまい50位、ロードレースでも残り2周でパンクして先頭集団に戻れず、122位であった[9]。 2016年シニア初年度となった2016年のシーズンは、前年からコンチネンタルプロに昇格したNIPPO・ヴィーニファンティーニに再び所属した。2戦目のヘラルド・サン・ツアーは山岳ポイントで3位、ツール・ド・台湾では第1ステージ5位、その後も第4ステージまで首位と2秒差につけた。ツアー・オブ・ジャパンは地元京都で行われた第2ステージで、イランチャンピオンのベナム・マレキとの2人で逃げたが、両選手ともゴール前25kmの下りで落車。この時点で追走集団とは2分の差があったがまもなく集団に吸収された。この事故で12針を縫う傷を負ったが、ツアーは総合60位で完走した。日本選手権はタイムトライアルで11位、ロードレースでは途中3回自転車を交換したがその度に集団に復帰、最終周回で逃げを試みたが決まらず、25位でゴールした。 所属チーム
戦績
参考資料
外部リンク
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