小林 海人(こばやし かいと、2001年12月11日[1][2] - )は、日本の元子役である。血液型はO型[1][2]。テアトルアカデミーに所属していた[1]。
ゲスト出演ながら2007年から2013年までほぼ毎年連続で大河ドラマに出演していた(2012年の『平清盛』のみ出演せず)。
上地雄輔の公式ブログによると、
学業に専念する為 中学校進学を機に芸能界を引退したがこれはどんなに子役で活躍出来ても小学校迄のプランであり本人の希望もあり予め決めていた。また共演俳優からも人として学びを得て人気子役になっても同じ子役の子にも朗らかに接し子役界では有りがちな親や子の格差からの嫌がらせを嫌い分け隔て無く接しドラマ、映画監督、俳優陣から認められ人気俳優から直々にオファーを受けた[3]。
出演
映画
テレビドラマ
CM
携帯配信ドラマ
舞台
ミュージック・ビデオ
脚注
- ^ a b c “小林 海人”. テアトルアカデミー公式WEBサイト. 2014年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月11日閲覧。
- ^ a b “小林海人 - Yahoo!検索(人物)”. archive.is. Yahoo!JAPAN (2013年5月1日). 2024年12月11日閲覧。
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進学先は理系大学付属中学から高校に進学し中学では吹奏楽に所属。
中学校時にアメリカ留学を経験。
高校でも吹奏楽部に所属し理系に特化したクラスに進級。本人曰く将来は大学教授かパイロットに成りたいと語っている。
大学は早稲田大学教育学部に進学。
大学受験の際も学校推薦では進学したくないと慶応義塾大学の推薦を断り早稲田大学を受験した。友達の大半が東大や東工大に進学している事もあり進学に迷い浪人も考えていた。
ただ勉強は元来大嫌いで効率よく学業を
身に付けるには暗記が大事と悟り
本来持ち合わせる記憶と暗記力を磨いた。又、通団時も病気以外休んだ事が無く0歳から入団し5歳頃迄あまりオーディションに受からない状況でも挫折する事無く通団している姿勢からテアトルアカデミーより抜群の信頼度と人間性に高い評価を得ていた。
役を貰えるようになりトークバラエティーへの出演オファーもあったが演技をするために子役をしているのでと断わり
見た目とは違い幹が強く優しいボス気質。子役の仕事をした事でお金の大事さも学び性格も努力家ゆえ自立しており学費も子役時代に貯めたお金で親に頼らず進学している。父の姓は加藤、母の姓である小林で
活躍していた。
幼稚園時には、国立大学付属小学に推薦される迄の学力を持ちながらも今遣りたい事を大事にしていた為、本人の意思で断っている。
名前の由来はハワイに住んでいた親が波乗りが好きで海を愛している事が由来。
実家は大正時代から営む車整備会社で
葉山に別荘が在り
ハワイ・マウイ島にも所有するマンションが在る。
ただ本人曰く外から見られる程の
裕福な家庭とは思っておらず贅沢や我が儘をさせてもらった事は余り無いと云うが頑張った後、少しは我が儘が通る普通の家庭と話す。
『神児遊助』2014年6月18日付、2014年8月7日閲覧。
外部リンク