小堀勝啓
小堀 勝啓(こぼり かつひろ、1950年〈昭和25年〉6月26日[1] - )は、CBCテレビ(CBC)の元アナウンサー。2015年7月1日からは、フリーアナウンサーとして活動している。 北海道帯広市出身[1]。その縁で、2014年3月25日から2016年9月30日までは、北海道十勝総合振興局から「とかち観光大使」を委嘱されていた[2]。日本ペンクラブ会員。 人物報道マンからアナウンサーへ北海道帯広柏葉高等学校を経て、東海大学文学部広報学科に進学。学生時代は、アナウンス専門学校に通っていた。 大のビートルズファンであることから、日本武道館での公演を主催した中部日本放送(CBC)への入社を志望。大学卒業後の1973年に入社した[1](同期に多田明子)。入社の時点でアナウンサーを志望していたが、入社後にテレビニュース部へ配属。報道カメラマンを経て、愛知県警本部の記者クラブを担当する。当時、記者クラブに「フラワーハットに、パンタロン」の恰好で現れ、同業他社の記者や県警職員を驚かせる[3]。この時、CBCのニュース フィルム編集を担当していた、現在の夫人と知り合う。 1975年、念願のアナウンス部に異動。ラジオは『カトレヤミュージック』『星空ワイド 今夜もシャララ』のパーソナリティなど、数多くの番組を担当する。バラエティ系でありながら、音楽に関連したトークを欠かさず独自の立場を作り、知名度を上げた。 洋楽番組を一手に引き受けるなど、自ら得意とする音楽分野の番組を始め、アナウンサーに留まらないタレント性を発揮する様になる。また、同じ誕生日で毎日放送アナウンサーだった斎藤努ら共にTBSへ出向し、1979年に全国ネットのテレビ番組『おはよう700』のアメリカ長期取材のレポーターを務めた。 一方で、スポーツに疎かったため、スポーツアナの対極ともいえる立場で、野球嫌いを公言して憚らず、野球中継などで番組が短縮されると、その不満を放送内で吐露する事があった(後年、中日ドラゴンズを扱うコーナーを含んだ、ワイド番組を担当後は野球の話をする様になった)。 名古屋の人気アナの座に『星空ワイド 今夜もシャララ』終了後、1982年10月よりスタートしたCBCラジオの夜ワイド番組『小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス』で、独特のキャラクターが幅広い世代で好感を呼び、「名古屋の人気ナンバーワンアナ」の地位を確立する[4][5]。1983年、富田靖子主演映画『アイコ十六歳』に、用務員のおじさん役で出演。 ラジオからテレビへCBCは当時、テレビ、ラジオの兼営局であり、『わ!Wide』担当当時、ニュースや台風情報などのテレビ番組に時折登場していたが、小堀自身がテレビに対し萎縮しており、独特のファッションとキャラクター故に評判が悪く「俺はテレビには向いてない」と語っていた[6]。 1989年7月14日深夜に放送された、名古屋市で開催された「世界デザイン博覧会」の前夜祭 特別番組『史上最大の夜ふかし』(CBCテレビ)の総合司会を担当。ラジオの様に進行し、好評を博した。これがテレビへの布石となり、同年10月、小堀は平日の夕方5時台前半のテレビ情報番組『小堀勝啓の時代塾』の担当になる。 これにより、7年間に渡って放送した『わ!Wide』は終了。最終回を迎えた1989年9月28日、同局1階にあったガラス張りのスタジオ「CBC レインボースタジオ」の前には、最終回の生放送に臨む小堀を見届けようと、終了を惜しむファンが多数集結。その盛況振りを、CBCテレビの報道セクションが取材。当日深夜のテレビのローカルニュースで取り上げ、最後まで、その人気を示した[7]。 1990年3月26日から、夕方ワイド番組『ミックスパイください』のメインキャスターを担当。長年のアナウンサー、報道記者としての経験を活かした番組進行と、ラジオ時代に培った芸能界への人脈をフルに活用。多彩なゲストが番組に出演するなど、番組終了までの足掛け9年間、「名古屋の夕方の顔」として活動した。 『ミックスパイください』終了後はテレビ、ラジオ番組のナレーションを数多く担当。テレビ、ラジオを問わず、幅広い年代の支持を得ている。『わ!Wide』以降、アナウンサーとしての業務の他、雑誌連載、数多の書籍の出版、番組スタッフとバンド結成。「KOBORI BAND」名義でCBS・ソニーから1984年に「涙のハイスクールパーティ」をリリースした。 再びラジオへ1999年4月5日から、CBCラジオの昼ワイド『小堀さんのRadio DAYS』を担当するが、10年のブランクは大きく、裏番組の『宮地佑紀生の聞いてみや~ち』(東海ラジオ)に惨敗。「コンビニとのタイアップ弁当」「花姉妹」などの話題を振りまくも、2000年6月2日、同局の創立50周年特番のプロデューサーに専念するため終了した。後に特番や公録などで時折出演。同年10月、『ブラボー! デジオ ワールド』でCBCラジオのレギュラー番組に復帰。 2001年4月からの1年間、平日の「カトレヤミュージック」パーソナリティ。『デジオ ワールド』の路線を受け継いだ『小堀勝啓のカモナ マイラヂオ』を担当した。『デジオ ワールド』『カモナ マイラヂオ』では、奥山敬造とのコンビで、中高年層に的を絞った選曲と話題が一定の支持を集め、帯ワイド復帰に繋がった。 2002年4月1日、『デジオ - 』『カモナ - 』のエッセンスを活かし、CBCラジオの平日帯 夕方ワイド『小堀勝啓の心にブギウギ!』を担当。パートナー無し、枠読みとニュース読みを一人でこなした。同年度には、JNNアノンシスト賞のラジオCM部門で、最優秀賞を受賞している。 『心にブギウギ!』では開始以来、聴取率が好調に推移。2006年夏の調査では聴取率1位(=同率1位)、2006年冬の調査では単独1位を獲得している。その一方で、小堀は同年度に、アノンシスト賞のラジオCM部門で再び最優秀賞を受賞した(当時の後輩アナウンサー・丸山蘭那との同時受賞)[8]。 2009年4月改編で、同番組の放送枠を『ツー快!お昼ドキッ』と統合。この統合によって5時間の生ワイド番組『ごごイチ』が誕生したことを機に、金曜日(『ごごイチ ゴールド』)のパーソナリティとして事実上続投した。他曜日は男女1人ずつの2人コンビで進行していたが、小堀のみ『心にブギウギ!』に続き単独でパーソナリティを担当。その一方で、水曜日にも、番組内のニュースコーナーに出演した。『ごごイチ』月 - 木曜日は2011年4月改編から放送時間を3時間に短縮したが、金曜日のみ『ごごイチ ゴールド』に改称の上、2012年3月30日の番組終了まで5時間の生放送を継続した。 2012年4月8日からは、日曜日の生ワイド番組『新栄トークジャンボリー 小堀勝啓のお気楽パラダイス』のパーソナリティを単独で担当。番組開始当初の放送時間は、歴代のレギュラー番組で最も長い6時間だった。 フリーアナウンサーへ転身2015年6月26日で65歳に達したことから、同月30日付でCBCを退職。退職の翌日からは、フリーアナウンサーとして活動するとともに、CBC制作番組へのレギュラー出演を続けている。また、退職を機に、「コボリズム」という個人ブログをアメーバブログに開設した。 現在の出演番組いずれも、CBCのアナウンサー時代から出演。 ラジオ
テレビCBCアナウンサー時代の出演番組テレビ番組
ラジオ
など ラジオCM映画
発売されたレコード発売された本
関連人物
脚注
外部リンク
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