富山縣護國神社
富山縣護國神社(とやまけんごこくじんじゃ)は、富山県富山市にある神社(護国神社)である。富山県出身の明治維新から大東亜戦争(太平洋戦争)までの戦没者を祭神とする。祭神は28,679柱である。 歴史明治45年(大正元年・1912年)3月に富山縣招魂社として設立が認められ、富山県知事が建設委員長となって同年1月より富山県の公園(3,500坪、富士山跡を包有している)にて工事着手、同年9月25日に富山市に設立許可が出され[1]、翌大正2年(1913年)8月に竣工[2]、同年9月18日鎮座式[3]、10月4日17時より神殿清祓及び上棟式[2]、鎮座が、翌10月5日に大祭が行われた[2]。昭和14年(1939年)4月1日、全国の招魂社が護國神社へ改称されるのに合わせて、富山縣護國神社に改称した[4]。 昭和20年(1945年)の富山大空襲によって、手水舎などごく一部の建物を除いて社殿を焼失した[3]。御霊代、御霊霊簿は磯部富士に造られた防空壕に遷され難を逃れ、同年8月4日に氷見の上田神社に遷座し[5]、同年9月26日の仮社殿竣工[6]、昭和21年(1946年)10月26日の複座を経て、昭和22年(1947年)4月13日、社号を『富山県鎮霊神社』と改称し、同年10月21日には仮殿が竣工した。昭和26年(1951年)10月24日(一部資料では昭和21年〔1946年〕10月25日[7])には社号を『富山縣護国神社』に復称した[3]。社殿は昭和28年(1953年)1月10日に着工し[3][8]、昭和29年(1954年)10月20日に再建された[9](同年10月23日に復興したとの記載もある[3])。 昭和41年(1966年)7月1日には神社本庁別表神社に加列している[3]。昭和43年(1968年)には、明治百年記念庭園(雛形花壇)が境内に完成し、同年10月24日に竣工式が挙行された[10]。昭和52年(1977年)9月22日には富山縣護國神社崇敬会が発足し、昭和56年(1981年)10月12日には、新社務所等が記念事業として完成した[3]。 現在の大拝殿は平成3年(1991年)10月19日に竣工したものである。また、平成7年(1995年)12月9日には、終戦五十周年記念『遠芳館』が竣工している[3]。 祭事・行事
境内
交通アクセス脚注
外部リンク |