宮本武之輔宮本 武之輔(みやもと たけのすけ、1892年(明治25年)1月5日[1] - 1941年(昭和16年)12月24日[2])は、日本の工学者・土木技術者。内務官僚・企画院次長。 経歴愛媛県出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、内務技手となった[1]。1919年(大正8年)、内務技師となり、東京第一土木出張所、東京土木出張所、新潟土木出張所・土木試験所、内務省土木局に勤務した[1]。1910年代には、当時待遇が文官に比べて冷遇されていた土木官僚たちによる待遇改善をめざした「技術者水平運動」のリーダー的存在であった。その間、1928年(昭和3年)に工学博士号を受けた[1]。1937年(昭和12年)から東京帝国大学工学部教授を兼任[3]。 1938年(昭和13年)、興亜院技師・技術部長に転じ、1941年(昭和16年)には企画院次長に就任した[3]。 栄典
著書
脚注
参考文献
外部リンク
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