宮原幸三郎 (1863年生)宮原 幸三郎(みやはら こうざぶろう[1]、1863年1月20日(文久2年12月1日[2])- 1934年(昭和9年)8月31日[1][3][4])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)[1]。広島県会議長[1]。 経歴安芸国安芸郡荘山田村[5](広島県安芸郡荘山田村を経て現呉市)で先代宮原幸三郎の長男として生まれる[6]。生家は代々農業を営む[5]。 1881年(明治14年)駅逓局4等郵便取扱役となり、1886年(明治19年)逓信省3等郵便局長(呉郵便局長)に就任し1897年(明治30年)まで在任した[5]。その他、呉貯蓄銀行取締役、呉馬車鉄道専務取締役、呉起業銀行専務取締役、中国電気専務取締役、呉瓦斯専務取締役、博愛汽船社長などを務めた[3][4]。 政界では1895年(明治28年)[5]、荘山田村会議員に当選[5]。さらに、広島県会議員、同参事会員、同議長、同郡部会議長、安芸郡会議員、呉市会議員、同参事会員、同議長、所得調査委員、土地賃貸価格調査委員、宅地価修正委員などを務めた[3][4]。 1898年(明治31年)8月の第6回衆議院議員総選挙で広島県第1区から出馬して当選し[5]、以後、第12回総選挙(1915年3月)、第16回総選挙(1928年2月)でも再選され、衆議院議員に通算3期在任した[3][4]。憲政本党[5]、立憲民政党[1][6]に所属した。この間、1912年(大正元年)から1916年(大正4年)まで頼母子講2万余円を使い込んだ業務上横領詐欺事件で1918年(大正6年)4月11日、広島控訴院から懲役2年の実刑判決[7]。これにより勲四等及び大礼記念章を褫奪された[8]。 人物住所は呉、胡町[6]。 家族
脚注
参考文献 |