太陽のない街
『太陽のない街』(たいようのないまち)は、徳永直による1929年の日本の小説。またそれを原作とした派生作品。 1930年に藤田満雄、小野宮吉脚色、村山知義演出で舞台化。1954年6月には日高澄子主演で、山本薩夫監督によって映画化された。 小説の概要1929年6月号から雑誌『戦旗』に連載された。作者の徳永が経験した1926年の東京市小石川区にある共同印刷(作中では「大同印刷」となっている)のストライキ、いわゆる「共同印刷争議」を題材とした作品である。舞台は白山御殿町など、印刷工場の周囲に立地した「不良住宅地区」と呼ばれた貧民居住地で、台地と台地の間の水田や湿地が埋め立てられ、貧民居住地が形成されていく様子が示されている[1]。 あらすじ多くの印刷製本の工場が集まる東京市小石川区で始まった大同印刷の労働争議は、50日が経過したが未だ解決の兆しが見えない状況だった。争議団は官憲からの厳しい追及と、会社に雇われたやくざ者によるスト潰しの妨害を受けていた。 争議団幹部の萩村は、争議継続のため奔走していた。その萩村の元に婦人部員の春木高枝が相談に訪れる。勝気な性格で婦人部員の中心的存在の高枝は、妹の加代や婦人部長の大宅らと共に警察に拘束され、2日間の拘置から釈放された。しかし帰宅した白山町の長屋には、病身の父も妹の姿もなかった。妹の加代は大川社長への傷害未遂で逮捕された、萩村の部下宮池の子を宿していた。二人は萩村の仲間の弁護士に、警察との交渉を依頼した。その帰りに立ち寄ったカフェーで、二人はやくざ者数人の襲撃を受ける。かろうじて二人は逃がれたものの、萩村は頭部に深い傷を負った。 萩村が高枝の看護を受け寝込んでいた間に、王子製紙工場で起こった争議団と官憲の衝突で二百余名が拘束された。大川社長は臨時工とスト破りを使って操業を再開し、争議団員に全員解雇を通告した。加代は歳暮近くに、疲弊した姿で帰宅した。傷が癒えた萩村は半月ぶりに、争議団の仲間のまえに顔を出した。しかし萩村は団結のほころびを目にして、争議継続の困難を感じるのだった。 主要登場人物
評価本作はストライキの実態や、労働者側が敗北に追いこまれるという労働者の闘いをリアルに描いたことから、発表直後から文壇でも評判になり蔵原惟人や川端康成が賞賛、連載完結を待たずに1929年12月に戦旗社から単行本が刊行された。徳永はこの作品で一躍プロレタリア文学の新進作家として認められ、『中央公論』などの総合雑誌にも作品を発表し専業作家への道を進むことになった。 今日でも表現の斬新さ、争議を扱った長編としての目新しさが注目される反面、虚構性や人物像の形象などで成功していないとの指摘もある[2]。 絶版をめぐって戦時体制が厳しくなってきた1937年12月、徳永はこの小説の絶版を表明する。その翌日、中野重治・宮本百合子たちが執筆禁止になったことを見ると、この絶版声明が徳永を執筆禁止から逃れさせたと浦西和彦は指摘している。戦後この絶版声明は撤回された。 1950年、岩波文庫に収録の際に作者による「解説」が付され、当時の状況が回想された[注釈 1]。 翻訳と海外への紹介1930年にドイツ語版、1932年ロシア語版、1940年にチェコ語版、1954年にルーマニア語版が出版されている。ミシガン大学のヘザー・ボゥエン=ストライク教授らも「The Sunless Street」として研究している。 主な書籍収録書籍
関連文献
舞台
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映画
スタッフ
キャスト
脚注注釈出典
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