大橋薫 (経済評論家)大橋 薫(おおはし かおる、1903年(明治36年)2月24日 - 1983年(昭和58年)4月30日)は、日本の新聞記者、経済評論家。 大蔵省や都市銀行の頭取クラスに対して絶大な影響を持ち、アジア開発銀行の設立やがん保険の認可に関わり、「金融界の黒幕」や「金融界のフィクサー」と呼ばれた。 来歴1929年に慶應義塾大学文学部史学科を卒業後、ジャパンタイムズに入社、1937年頃からは同盟通信社に転じた[1]。 戦前には日本経済連盟会(日本経済団体連合会の前身)による対外資本の導入を研究し、外務省の矢野征記らとともに原案を草案した[1]。 戦後は電通での勤務や、内外タイムスの社長などを経て、常盤橋経済研究所という経済諮問機関を設立。大物経済評論家として大蔵省や福田赳夫の意を組み、対外資本の導入などに関与した。[要出典] 最大の功績はがん保険の日本への導入の橋渡しであり、アフラック生命保険の日本市場参入であり、アジア開発銀行の設立への関与である[要出典]。 その他にもアイ・エヌ・エイ生命保険株式会社の日本市場参入にも関与した[要出典]。 脚注参考文献
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