多賀町(たがちょう[1])は、茨城県多賀郡にかつて存在した町である。
地理
現在の日立市のうち、常陸多賀駅(旧名:下孫駅)周辺に相当する。1941年には坂上村(大甕駅周辺)を編入した。旧多賀郡の中では最南端に位置し、太平洋に面する河原子から大甕一帯の海岸は平野となっているものの、大部分は多賀山地の一部で山がちな地形となっているばかりか、河原子以北は海岸近くまで台地が迫り出し断崖絶壁となっている。
歴史
年表
行政区域変遷
多賀町町域の変遷表
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1868年 以前
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明治22年 4月1日
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明治22年 - 昭和19年
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昭和20年 - 昭和64年
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平成元年 - 現在
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現在
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河原子村
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河原子町
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昭和14年4月1日 多賀町
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昭和30年2月15日 日立市に編入
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日立市
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日立市
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金沢村
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国分村
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大久保村
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下孫村
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諏訪村
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鮎川村
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油縄子村
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成沢村
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水木村
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坂上村
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昭和16年2月11日 多賀町に編入
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森山村
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大沼村
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大字
- 大久保(おおくぼ)
- 大沼(おおぬま)
- 金沢(かねさわ)
- 河原子(かわらご)
- 下孫(しもまご)
- 諏訪(すわ)
- 成沢(なるさわ)
- 水木(みずき)
- 森山(もりやま)
- 油縄子(ゆなご)
人口・世帯
※1946年以前は旧坂上村を含まず。
人口
総数 [単位: 人]
世帯
総数 [単位: 世帯]
1914年(大正14年) | 2,379 |
1950年(昭和25年) | 7,323 |
1954年(昭和29年) | 8,050 |
交通
鉄道
道路
その他
茨城県の自治体では「町」を「まち」と読むのが標準的であるが、当町は例外的に「ちょう」と読んでいた。
脚注
注釈・出典
- ^ 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』
- ^ 日立市史編さん委員会編『日立市史』、日立市、1959年より
- ^ 日立市史編さん委員会編『新修日立市史』、日立市、1994年より
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より
関連項目