Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

多武峰

多武峰(とうのみね)は奈良県桜井市南部にある山、および、その一帯にあった寺院のこと。

飛鳥時代道教を信奉していた斉明天皇が、『日本書紀』に、「多武峰の山頂付近に石塁や高殿を築いて両槻宮(ふたつきのみや)とした」とある[1]。『日本三代実録』に、858年(天安2年)「多武峰墓を藤原鎌足の墓とし、十陵四墓の例に入れる」と記されている。平安時代中頃の成立と見られる『多武峯略記』に、「最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市大織冠神社、阿武山古墳か)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が見える。

明治初年の神仏分離により、談山神社となった。詳細は、談山神社を参照。多武峰街道は談山神社から等弥神社を経て山の辺の道に接続する。

社寺

交通

県道155線。左側に歩行者への注意を促す標識がある

自動車の場合、従来は桜井方面より奈良県道37号桜井吉野線を上るしかなかったが、すれ違い困難な一車線区間が多く、紅葉シーズンの渋滞は激しい。2009年に全線二車線の奈良県道155号多武峯見瀬線が開通し、飛鳥方面からのアクセスが飛躍的に向上したが、石舞台からのハイキングコースと数カ所で交差しており、走行に注意が必要である。いずれにせよ、多武峰の駐車場キャパシティに限界があるので、ハイシーズンは公共交通機関(桜井駅よりバス)ないし徒歩(上記ハイキングコースの場合、石舞台から1.5〜2時間程度)の利用が推奨される。

ギャラリー

多武峰街道

表記

  • この付近にあるバス停の名称は「峰」の異体字「峯」を用いた「多武」になっている。

脚注

  1. ^ 日本書紀』では両槻宮を「観」と表現し、道教寺院を「道観」ということから道教施設説もあるが、「観」には単に「高殿」の意味もあるため、遠山美都男は疑問が残るとし、別名の「天宮」に関しても、道教仙人の住まう宮殿の意味だが、仏教帝釈天が住む「忉利天宮」の略称の可能性も出す。遠山美都男『天皇と日本の起源「飛鳥の大王」の謎を解く』(講談社現代新書、2003年)p.186.

関連項目

Kembali kehalaman sebelumnya