多武峰多武峰(とうのみね)は奈良県桜井市南部にある山、および、その一帯にあった寺院のこと。 飛鳥時代に道教を信奉していた斉明天皇が、『日本書紀』に、「多武峰の山頂付近に石塁や高殿を築いて両槻宮(ふたつきのみや)とした」とある[1]。『日本三代実録』に、858年(天安2年)「多武峰墓を藤原鎌足の墓とし、十陵四墓の例に入れる」と記されている。平安時代中頃の成立と見られる『多武峯略記』に、「最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市大織冠神社、阿武山古墳か)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が見える。 明治初年の神仏分離により、談山神社となった。詳細は、談山神社を参照。多武峰街道は談山神社から等弥神社を経て山の辺の道に接続する。 社寺交通自動車の場合、従来は桜井方面より奈良県道37号桜井吉野線を上るしかなかったが、すれ違い困難な一車線区間が多く、紅葉シーズンの渋滞は激しい。2009年に全線二車線の奈良県道155号多武峯見瀬線が開通し、飛鳥方面からのアクセスが飛躍的に向上したが、石舞台からのハイキングコースと数カ所で交差しており、走行に注意が必要である。いずれにせよ、多武峰の駐車場キャパシティに限界があるので、ハイシーズンは公共交通機関(桜井駅よりバス)ないし徒歩(上記ハイキングコースの場合、石舞台から1.5〜2時間程度)の利用が推奨される。 ギャラリー多武峰街道
表記
脚注関連項目 |