堀直重
堀 直重(ほり なおしげ) は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。信濃須坂藩の初代藩主。信濃須坂堀家初代。堀直政の四男。兄に直清、直寄、直之。 生涯天正13年(1585年)、堀氏の家臣・堀直政の四男として誕生。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に与して軍功を挙げたことにより、下総矢作に2000石と信濃須坂に6000石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも徳川方として参戦し、功績を挙げて高井郡内に4000石加増された。この加増年に関しては、元和元年(1615年)説と元和2年(1616年)説[1][2]がある。信濃国須坂に立藩し、最終的に1万2000石の所領を領した。 元和3年(1617年)に33歳で死去。その跡は長男・直升が継いだ。千葉県香取市新福寺に直重の石塔があるが、元和期前半の様相を備えた各部完存のものであり、死後まもなく一年忌ないし三年忌に建てられたものと推測される[3]。 系譜父母
正室
子女 脚注参考文献
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