坂本鹿名夫坂本 鹿名夫(阪本 鹿名夫、さかもと かなお、1911年(明治44年)7月21日 - 1987年(昭和62年)5月29日[1])は、日本の建築家。円形建築にこだわり、その経済性、合理性を主張し、朝日町立朝日小学校(登録有形文化財)など円形校舎、円形病院など全国に100以上の円形建築を手がけた。 経歴東京生まれ。父は阪本釤之助で、鹿児島県知事や名古屋市長を歴任したため、その頭文字を導入して鹿名夫と名付けられた。従兄に永井荷風、異母兄に高見順がいる。 東京工業大学建築学科に進学し、卒業研究でも円形の飛行場を設計している。大学卒業後の1937年(昭和12年)、大倉土木(現・大成建設)に就職。戦時中は海軍に入隊し技術将校を経て、戦後会社に復職するが、1954年(昭和29年)大成建設を退職し、建築綜合計画研究所を設立し社長に就任。同年の国立国会図書館建築競技設計で入選。1962年、坂本鹿名夫建築研究所を設立[2]。 代表作
参考
脚注
|