国鉄DF90形ディーゼル機関車DF90形は、かつて日本国有鉄道(国鉄)で試用された電気式ディーゼル機関車である。 概要国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、国内の車両メーカーは国鉄および海外への売り込みを図るべく、独自の機関車を設計・試作した。これらの機関車は、合計9形式が国鉄に借り入れられ、40番台、のちに90番台の形式を与えられて試用され、一部の形式は国鉄が正式に購入した。 それらの試作機関車のうち、日立製作所が1956年(昭和31年)に本線の旅客・貨物列車兼用として製造したのが、本形式[注 1]である。翌1957年(昭和32年)6月にDF90 1として国鉄が借入れ、常磐線の旅客列車に使用された。1961年(昭和36年)には国鉄が購入している。 構造エンジンは西ドイツ(当時)のMAN社製[注 2][1] V8V22/30形ディーゼルエンジン(水冷V形16気筒 1,680 PS/900 rpm)である。エンジンを車体中央に、ラジエーターはその前後に各1組を配置した。 動力伝達方式は電気式を採用した。主発電機は1,100 kW/900 rpm、全車軸に165 kW/500 rpmの主電動機を装備し、吊掛式で駆動する。 走り装置は3軸台車を2組装備し、軸配置はC-Cである。動輪直径は1,000 mm。なお客車への暖房供給装置は搭載されておらず、冬季は暖房車を連結していた。 車体は箱形で非貫通。前面は国鉄EF58形電気機関車と同系統の意匠だが、車体長が短く全後端の車体幅を絞る必要が無かったため、若干線が太い感じである。落成時は赤を基調にクリーム色を配した塗色であったが、すぐに当時の標準色である茶色(ぶどう色2号)1色とされた。 メーカーの諸元では運転整備重量90トン(空車重量84.38トン)とされているが、実際には94トンを超えていたといわれている。 1958年(昭和33年)、A.R.C.(アジア鉄道首脳者懇親会)の鉄道展にあわせ、落成時の塗色(前照灯周辺など細部に相違があった)に変更され、その後暫くそのままの姿で運用に就いた。1961年(昭和36年) 12月に国鉄が購入したが、その際にラジエーターの一部撤去、空気圧縮機を2台から1台に削減するなどの改造を行い、燃料・冷却水の積載量制限を行って運転整備重量を92トンに収めた。塗色も再び茶色1色に戻されたあと、秋田機関区への転属時に国鉄標準色ともいうべきねずみ色1号(上半分)と朱色4号(下半分)に塗り替えられた。 運用1957年(昭和32年)6月に国鉄が借入れて水戸機関区に配置。1964年(昭和39年)8月まで、常磐線の旅客列車に使用された。秋田機関区に転属[注 3]となってからは、秋田地区で使用するには軸重が大きすぎる事、また1形式1輌のため保守面でデメリットがあった事から、僅かに入換などで1966年(昭和41年)ころまで使用された後、休車となった。1971年(昭和46年)2月10日に廃車され、しばらく東能代機関区に留置されていた。その後解体処分され、現存しない。 主要諸元
脚注注釈出典参考文献
関連項目
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