国民協議会
インドネシア共和国国民協議会(インドネシアきょうわこくこくみんきょうぎかい、インドネシア語: Majelis Permusyawaratan Rakyat Republik Indonesia, MPR-RI)は、インドネシアの立法府である。 議会構成二院制で、上院にあたる地方代表議会と、下院にあたる国民議会で構成される。ただし、地方代表会議がもっぱら地方自治や地方財政の関連事項を審議するのに対し、国民議会は立法、予算審議、行政監督について審議すると定められているため、必ずしも「両院制(二つの議院で一つの議会)」とは呼べないことに注意する必要がある。 略歴かつてのスカルノおよびスハルト時代には、国民協議会は一院制の国民議会議員と地方代表など各種の追加議員によって構成され、国民と社会を代表し国家主権を有する機関として位置づけられてきた。その権力は大きく、正副大統領の選出、国策大綱の決定、憲法制定の権限をもつほか、大統領や国民会議など他の国家機関の査定、評価を行うことができた。「指導される民主主義」時代には議員が任命制となり、国軍代表が協議会に送りこまれるなど、スカルノによる権威主義体制の道具となった[1][2]。 9月30日事件をへてスハルトが権力を握るとこの傾向はさらに顕著となり、公式には政党ではなく職能団体とされた官製政党「ゴルカル」の一党優位による長期政権が始まった。当時のインドネシア憲法によれば、先述のように国家元首は大統領だが国民協議会が国権の最高機関であり、スハルトが大統領の座を維持するためには国民協議会の賛成が必要だったため、彼はゴルカルと国軍代表の任命議員で協議会を支配し、自らの地位を盤石なものとしたのである。例えば協議会議員の定数1000名のうち、1997年総選挙ではゴルカル所属議員が488名、大統領・国軍司令官任命議員が213名であった[2]。 なお、スハルト自身はゴルカルの党首どころか執行部役員でもないが、彼はゴルカル中央顧問会議議長を務めており、顧問会議が中央執行部を監督するというシステム上、実質的に彼がゴルカルを支配していた。形式的には、ゴルカル側が自発的にスハルトを大統領へ推挙するかたちがとられていた[1][3]。 1999年からの四次にわたる憲法改正により、国民協議会は国権の最高機関としての地位を失い、両院の合同機関という位置づけとなった。主権は国民に、立法権は国民議会に移されることになり、新たに地方代表会議が発足した。国民協議会は憲法制定権と大統領罷免決議権を保持するが、大統領選任権を国民に譲渡し、大統領と副大統領は直接選挙での選出に変更された[2]。 任期各院とも5年。 院内勢力国民議会に議席を多く有する順に表記する。
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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