名古屋市立高田小学校
名古屋市立高田小学校(なごやしりつ たかだしょうがっこう)は、名古屋市瑞穂区宝田町にある公立小学校。 歴史1927年(昭和2年)6月15日、瑞穂尋常高等小学校の児童数増加により分離し、高田尋常高等小学校として成立する[1]。独立時には既に尋常科に限っても1,663人の児童が在籍しており、26学級が編成されるほどの規模を誇り、2階建ての木造校舎に収容されていたという[2]。その後も児童数は増加の一途を辿り、創立4年後の1931年(昭和6年)には御劔尋常小学校が独立し、その一部の児童を収容することとなった[2]。 それでも過密状態は是正されず、1935年(昭和10年)2月に堀田尋常小学校が設立されている[2]。 戦時体制下には高田国民学校と称していたが、1945年(昭和20年)5月17日の名古屋大空襲において校舎全焼の憂き目に遭っている[3]。この空襲により、高田連区(学区)内では死者8名、重軽傷者28名、罹災者は2,536名に及ぶ被害を出している[4]。 児童については、412人が三重県三重郡菰野町に集団疎開をしていた[5]。 児童数の変遷『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[6]。
通学区域所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、瑞穂区のうち、牛巻町・春敲町・大喜新町1丁目・大喜新町3~4丁目・直来町・平郷町・宝田町・堀田通4~6丁目・豆田町の全域および北原町1丁目・薩摩町1丁目・新開町・大喜新町2丁目・西ノ割町1丁目・二野町・本願寺町1丁目の各一部を通学区域として指定している[WEB 2]。 また、卒業後の進学先は名古屋市立瑞穂ヶ丘中学校となっている[WEB 3]。 創立時の通学区域は、南区(当時)瑞穂町字上高田・字下高田・字南井戸田・字大喜・字池下・字中山および熱田東町を範囲としていたが、後年の学区分割により高田学区のほか、御劔・汐路・堀田の各小学校区となっている[WEB 4]。また、学校名の由来ともなった高田の地は、汐路小学校区に含まれている[WEB 4]。 交通アクセス脚注WEB
書籍
参考文献
関連項目外部リンク |