吉林市(きつりん-し、満洲語: ᡤᡳᡵᡳᠨ
ᡥᠣᡨᠣᠨ[1] 転写:girin hoton)は、中華人民共和国吉林省に位置する地級市。市内の総人口は約452万人で、省内では省都の長春市に次ぐ第二の都市である。国家歴史文化名城に指定されている。
地理
吉林市は吉林省中央部に位置し、松花江(スンガリ川)の岸辺にある。松花江は北流してアムール川と合流し、日本海に繋がる水路であるため、古くから造船業も盛んである。東で延辺朝鮮族自治州、西で長春市、四平市、北で黒竜江省、南で白山市、通化市と接する。
気候
非常に顕著な大陸性気候で、冬は非常に寒さが厳しい。1月が最も寒く、零下8度から零下20度に下がる。7月が夏の盛りで平均21度から23度だが、36度まで上がることもある。
吉林(1951-2007)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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平均最高気温 °C (°F)
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−10.0 (14)
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−5.5 (22.1)
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3.1 (37.6)
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14.1 (57.4)
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21.7 (71.1)
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26.0 (78.8)
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27.9 (82.2)
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26.7 (80.1)
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21.8 (71.2)
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13.6 (56.5)
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2.1 (35.8)
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−6.6 (20.1)
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11.2 (52.2)
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平均最低気温 °C (°F)
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−24.1 (−11.4)
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−20.1 (−4.2)
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−8.8 (16.2)
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0.8 (33.4)
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7.9 (46.2)
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14.4 (57.9)
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18.3 (64.9)
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16.6 (61.9)
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8.5 (47.3)
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0.7 (33.3)
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−9.3 (15.3)
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−19.1 (−2.4)
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−1.2 (29.8)
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降水量 mm (inch)
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5.6 (0.22)
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6.1 (0.24)
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13.7 (0.539)
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29.0 (1.142)
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53.8 (2.118)
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105.9 (4.169)
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179.0 (7.047)
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139.6 (5.496)
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64.2 (2.528)
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35.5 (1.398)
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15.5 (0.61)
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6.8 (0.268)
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654.7 (25.776)
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出典:中央气象台 2010年1月15日
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交通
空港は長春市にある長春龍嘉国際空港が便利。鉄道は中国国鉄の吉林駅があり、長図線で長春駅などと、瀋吉線で瀋陽北駅などと繋がっている。
市内交通は主としてバスやタクシーが便利である。地下鉄や路面電車はない。
歴史
中国地名の変遷
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建置
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1936年
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使用状況
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吉林市 |
清 | 永吉州 吉林庁(1747年) 吉林府(1882年) |
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中華民国 | 吉林県 永吉県(1929年) |
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満洲国 | 吉林市(1936年永吉県より分割) |
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国共内戦期間 | 吉林市 |
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現代 | 吉林市 |
市名は満洲語で川沿いの村を意味する「吉林烏拉(girin ula)」に由来する。省名の由来にもなった都市である。
明代には女真ウラ部がこの地を支配し、ウラ国と称されていた。1613年(万暦41年)以降はヌルハチの支配が及び後金の領地となった。1671年(康熙10年)、ニングタ(寧古塔)副都統アンジュフが吉林城を建設、1727年(雍正5年)には永吉州が設置され1747年(乾隆12年)に吉林庁と改称、1882年(光緒8年)に吉林府に昇格した。
中華民国が成立すると1913年(民国2年)に吉林府は吉林県に降格、更に1929年(民国18年)には永吉県と改称された。1931年の満洲事変により関東軍が占領し、満洲国が建国されると吉林省公署が設置された。満洲国崩壊後は国共内戦による戦場となり、1948年3月9日に中国共産党の支配下に置かれ、翌日には吉林省政府が延吉市から吉林に移転、3月23日に吉林市人民政府が成立した。
1954年に吉林省人民政府は長春市に移転する。また文化大革命期の1968年には吉林市革命委員会による統治が行われたが、1980年に人民政府が復活した。
民族
漢族人口が全体の90.51%を占める。少数民族人口は42.57万人で、全体の人口の9.49%である。少数民族の内、満族が22.5万人、朝鮮族が16.2万人で、満族郷や朝鮮族郷などがある。
行政区画
4市轄区・4県級市・1県を管轄する。
年表
この節の出典[2]
吉林市
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国吉林省吉林市が発足。昌邑区・朝陽区・通天区・船営区・徳勝区・江北区・興隆区・江南区・白山区を設置。(9区)
- 1950年6月18日 - 江北区・興隆区・江南区・白山区が市郊一区から市郊四区にそれぞれ改称。(9区)
- 1951年8月23日 - 昌邑区・朝陽区・通天区・船営区・徳勝区・市郊一区・市郊二区・市郊三区・市郊四区が一区から九区にそれぞれ改称。(9区)
- 1951年12月26日 - 豊満特区を編入。(10区)
- 1952年8月3日 - 六区・七区・八区・九区のそれぞれ一部が合併し、十区が発足。(11区)
- 1953年3月16日 (9区)
- 十区が六区・七区・八区・九区に分割編入。
- 豊満特区が七区に編入。
- 1953年4月25日 (9区)
- 二区が一区・三区に分割編入。
- 三区から七区までの区が二区から六区にそれぞれ改称。
- 六区の一部が分立し、七区が成立。
- 1955年12月21日 (10区)
- 一区が昌邑区に、二区が通天区に、三区が船営区に、四区が竜潭区に、五区が江南区に、六区が白山区に、七区が豊満区に、八区が哈達湾区に、九区が大屯区にそれぞれ改称。
- 永吉県の一部が分立し、九站区が発足。
- 1957年7月23日 - 江南区・白山区・大屯区・九站区が合併し、郊区が発足。(7区)
- 1958年10月23日 - 永吉県・舒蘭県・磐石県・樺甸県・蛟河県を編入。(7区5県)
- 1959年3月19日 - 通天区が昌邑区・船営区に分割編入。(6区5県)
- 1964年1月11日 - 昌邑区の一部が船営区に編入。(6区5県)
- 1964年4月23日 (4区5県)
- 哈達湾区が昌邑区に編入。
- 豊満区が郊区・船営区に分割編入。
- 1966年1月10日 - 永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県が永吉専区に編入。(4区)
- 1969年1月20日 - 昌邑区の一部が郊区に編入。(4区)
- 1969年2月23日 - 永吉専区永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県を編入。(4区5県)
- 1982年8月2日 - 永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県が永吉地区に編入。(4区)
- 1983年8月30日 - 永吉地区永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県を編入。(4区5県)
- 1988年5月25日 - 樺甸県が市制施行し、樺甸市となる。(4区1市4県)
- 1989年8月15日 - 蛟河県が市制施行し、蛟河市となる。(4区2市3県)
- 1992年2月10日 (4区2市3県)
- 昌邑区の一部が船営区に編入。
- 郊区の一部が船営区・昌邑区・竜潭区に分割編入。
- 郊区の残部および船営区・永吉県の各一部が合併し、豊満区が発足。
- 1992年10月8日 - 舒蘭県が市制施行し、舒蘭市となる。(4区3市2県)
- 1995年8月30日 - 磐石県が市制施行し、磐石市となる。(4区4市1県)
- 2000年1月31日 - 永吉県の一部が船営区・昌邑区・竜潭区に分割編入。(4区4市1県)
永吉専区
- 1966年1月10日 - 吉林市永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県を編入。永吉専区が成立。(5県)
- 1969年2月23日 - 永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県が吉林市に編入。
永吉地区
- 1982年8月2日 - 吉林市永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県を編入。永吉地区が成立。(5県)
- 1983年8月30日 - 永吉県・舒蘭県・磐石県・蛟河県・樺甸県が吉林市に編入。
経済
市内には国家級ハイテク産業開発区と経済技術開発区があり、2003年の全市生産総額は対前年比16.5%増の600.1億人民元で、一人当たり生産総額は対前年比14.7%増の13,808元(米ドル換算1668ドル)であった。
研究・高等教育機関
見どころ
次のような見どころがある。 [3]
スポーツ
友好都市
脚注
- ^ [1]
- ^ 吉林省 - 区划地名网
- ^ 吉林市(百度百科) (中国語)
- ^ 吉林八景(百度百科) (中国語)
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
吉林市に関連するカテゴリがあります。
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第1回指定 (1982年) | |
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第2回指定 (1986年) | |
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第3回指定 (1994年) | |
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増補 | |
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指定時の地名のため、現在の行政区画の変更により一部に変化がある: 江陵→荊州区、襄樊→襄陽市、商丘(県)→睢陽区、日喀則→桑珠孜区、海康→雷州市、吐魯番市→高昌区、蓬萊市→蓬萊区、会理県→会理市、庫車県→庫車市 |