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南島原市立西有家小学校

南島原市立西有家小学校
地図北緯32度39分28秒 東経130度17分51秒 / 北緯32.657639度 東経130.297556度 / 32.657639; 130.297556座標: 北緯32度39分28秒 東経130度17分51秒 / 北緯32.657639度 東経130.297556度 / 32.657639; 130.297556
過去の名称 第五大学区第三中学区須川小学校
第五大学区第三中学区須川小学校
第五大学区第二中学区須川小学校
南高来郡隅田部須川小学校
南高来郡隅田部詳精小学校
西有家学区公立中等詳精小学校
西有家学区公立中等西有家小学校
西有家学区 尋常西有家小学校
西有家尋常小学校
西有家尋常高等小学校
西有家町西有家国民学校
西有家町立西有家小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 南島原市
併合学校 南島原市立龍石小学校
南島原市立見岳小学校
南島原市立慈恩寺小学校
南島原市立長野小学校
校訓 勤労・勉学・大志
設立年月日 1873年(明治6年)3月8日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210003169 ウィキデータを編集
所在地 859-2211
長崎県南島原市西有家町須川33番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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南島原市立西有家小学校(みなみしまばらしりつ にしありえしょうがっこう)は、長崎県南島原市西有家町須川にある公立小学校

概要

歴史
1873年明治6年)に「須川(すかわ)小学校」として開校。2013年平成25年)に創立140周年を迎えた。
校訓
「勤労・勉学・大志」
学校教育目標
「心身ともに健康で、明るく賢く心の美しい子どもの育成を図る」
校章
1979年昭和54年)に制定。
校歌
作詞は島内八郎、作曲は山口健作による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「西有家小学校」が登場する。
校区
南島原市西有家町全域[1]。中学校区は南島原市立西有家中学校[2]

沿革

前史
  • 1665年寛文5年) - 有家村が有田村・町(まち)村・隈田村の3村に分かれ有家3カ村と呼ばれるようになる。
  • 1871年(明治4年)
  • 1872年(明治5年)8月 - 学制が公布される。
正史
  • 1873年(明治6年)3月8日 - 隅田村須川名八田大迫に平屋建てのわら葺き1棟を校舎として「第五大学区第三中学区[3]須川小学校」が開校。児童数は50名あまり。
  • 1874年(明治7年)
  • 1875年(明治8年)11月 - 須川名字下八田小波止御倉屋敷に校舎が完成し移転。
  • 1876年(明治9年)- 有家3カ村が西有家村と東有家村の2村に統合再編される。
    • 有田村と町村の2名[4](中須川名・小川名)が東有家村となる。
    • 隈田村の5名[4](里坊名・須川名・龍石名・長野名・久保名)と町村の2名(慈恩寺名・見岳名)が西有家村となる。
  • 1877年(明治10年)
    • 6月4日 - 学区改正[5]により、「第五大学区第二中学区[6]須川小学校」に改称。
    • 8月26日 - 暴風により再度校舎が倒壊したため、龍泉寺の隠居屋敷を仮校舎とする。
    • 同年 - 飛町に移転するもわずか5日で類焼。
    • 11月 - 須川名下八田にある八田屋の屋敷を仮校舎とする。
  • 1878年(明治11年)12月24日 - 郡制の施行に伴い学区が改正され、「南高来郡 隅田部[7] 須川小学校」となる。
  • 1879年(明治12年)- 西有家村の久保名が東有家村に統合される。
  • 1880年(明治13年)12月30日 - 須川名字五反田に木造2階建ての校舎が完成し、「南高来郡 隅田部 詳精小学校」に改称。
  • 1881年(明治14年)4月 - 修業年限が4年となる。
  • 1882年(明治15年)5月 - 教育令の改正により「西有家学区公立中等詳精小学校」と改称。
  • 1883年(明治16年)12月 - 龍石小学校を統合し、龍石分校とする。
  • 1884年(明治17年)10月 - 「西有家学区公立中等西有家小学校」と改称。
  • 1886年(明治19年)
    • 9月 - 龍石分校を廃止(この後1888年(明治21年)に簡易慈恩寺小学校龍石分校として再開される)。
    • 10月5日 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上「西有家学区 尋常西有家小学校」に改称。
    • この年 - (長崎県)第七高等小学校(修業年限4年)が東有家村中須川名堤156番地3[8]に設置される。(旧十八銀行有家支店跡地[9]
      • 第七高等小学校は西有家村を含む6村の児童を対象としていた[10]
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の実施により、西有家村立の小学校となる。校舎がせまく階上に増築。
  • 1891年(明治24年)12月 - 校舎を増築。
  • 1892年(明治25年)10月 - 小学校令の改正により、「西有家尋常小学校」と改称(「尋常」の位置が変わる)。
  • 1893年(明治26年)-(長崎県)第七高等小学校が廃止される。跡地に東有家村・西有家村・堂崎村三村学校組合有家高等小学校が設置される。
  • 1899年(明治32年)- 本多重基の倉庫を分教室とする。
  • 1900年(明治33年)- 2階建て校舎を増築。
  • 1901年(明治34年)- 西川碧所有の倉庫を分教室とする。
  • 1903年(明治36年)11月 - 初代校長に中村直三郎が就任。
  • 1904年(明治37年)- 児童数の増加により、二部授業を行う。
  • 1905年(明治38年)- 本多重基所有の倉庫を分教室とする。
  • 1908年(明治41年)4月 - 義務教育年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1912年(明治45年)
    • 3月 - 東有家村・西有家村・堂崎村三村学校組合立有家高等小学校が廃止される。
    • 4月1日 - 有家高等小学校の廃止に伴い、高等科を併設の上「西有家尋常高等小学校」と改称(尋常科6年・高等科2年)。
  • 1920年大正9年)11月 - 西有家実業補習学校が併設される。
  • 1926年(大正15年)7月 - 併設の実業補習学校が「青年訓練認定 西有家実業補習学校」に改称。
  • 1927年(昭和2年)4月1日 - 西有家村が町制施行により西有家町となったため、西有家町立の小学校となる。
    • 教室不足により、尋常科1年において二部授業を実施。
  • 1929年(昭和4年)3月 - 6教室が完成し、二部授業を解消。
  • 1933年(昭和8年)4月1日 - 西有家町内の小学校に併設されていた実業補習学校5校が「青年訓練認定 西有家実業補習学校」1校に統合される。
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 再び教室が不足するようになり、二部授業を実施。
  • 1935年(昭和10年)10月1日 - 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が「西有家青年学校」となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行に伴い、「西有家町西有家国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1944年(昭和19年)11月15日 - 西有家青年学校が「西有家高等実業青年学校」に改組される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 西有家国民学校の初等科が改組され、「西有家町立西有家小学校」となる。
    • 西有家国民学校の高等科が青年学校の普通科とともに改組され、新制中学校西有家町立西有家中学校」となる。
  • 1949年(昭和24年)- 1974年(昭和49年)までの沿革は不明[11]
  • 1974年(昭和49年)5月23日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1975年(昭和50年)12月9日 - 旧西有家中学校跡地に小学校の新校舎の建設が開始。
  • 1976年(昭和51年)
  • 1977年(昭和52年)3月30日 - 旧校舎跡地に運動場を整備。
  • 1978年(昭和53年)5月20日 - 体育館が完成。
  • 1979年(昭和54年)12月1日 - 校章を制定。
  • 1983年(昭和58年)10月2日 - 校旗が寄贈される。
  • 1985年(昭和60年)11月 - 岩石園が完成。
  • 1986年(昭和61年)3月31日 - 運動場を拡張。
  • 1987年(昭和62年)
    • 1月 - 特殊学級を一時休級。
    • 4月1日 - 特殊学級を再開。
    • 9月 - 運動場を改修。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 南島原市の発足に伴い、「南島原市立西有家小学校」(現校名)に改称。
  • 2016年(平成28年)

交通アクセス

最寄りのバス停
最寄りの国道・県道
最寄りの鉄道駅

周辺

著名な出身者

参考資料

  • 「西有家町郷土誌」(1998年(平成10年)3月1日発行, 西有家町)p.579 -
  • 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「西有家町」

脚注

  1. ^ 2016年(平成28年)4月統合前は南島原市西有家町の後に「須川、里坊」が続く地域であった。
  2. ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
  3. ^ 長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐対馬は第四中学区に属した。
  4. ^ a b この「名」(みょう)は「地区」を表す。
  5. ^ 長崎県教育史上巻p.441- - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
  6. ^ 長崎区を第一中学区、旧島原藩を第二中学区、旧大村藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
  7. ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
  8. ^ 現・南島原市有家町中須川字堤156番3号。
  9. ^ 現在、十八銀行有家支店は南島原市有家町山川133番4号にある。
  10. ^ 長崎県教育史下巻p.46 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  11. ^ 「西有家町郷土誌」(1998年(平成10年)3月1日, 西有家町)p.585
  12. ^ 長崎新聞(2016年(平成28年)1月26日号)「慈恩寺小などで閉校式」

関連項目

外部リンク

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