南島原市立西有家小学校(みなみしまばらしりつ にしありえしょうがっこう)は、長崎県南島原市西有家町須川にある公立小学校。
概要
- 歴史
- 1873年(明治6年)に「須川(すかわ)小学校」として開校。2013年(平成25年)に創立140周年を迎えた。
- 校訓
- 「勤労・勉学・大志」
- 学校教育目標
- 「心身ともに健康で、明るく賢く心の美しい子どもの育成を図る」
- 校章
- 1979年(昭和54年)に制定。
- 校歌
- 作詞は島内八郎、作曲は山口健作による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「西有家小学校」が登場する。
- 校区
- 南島原市西有家町全域[1]。中学校区は南島原市立西有家中学校[2]。
沿革
- 前史
- 正史
- 1873年(明治6年)3月8日 - 隅田村須川名字八田大迫に平屋建てのわら葺き1棟を校舎として「第五大学区第三中学区[3]須川小学校」が開校。児童数は50名あまり。
- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年)11月 - 須川名字下八田小波止御倉屋敷に校舎が完成し移転。
- 1876年(明治9年)- 有家3カ村が西有家村と東有家村の2村に統合再編される。
- 有田村と町村の2名[4](中須川名・小川名)が東有家村となる。
- 隈田村の5名[4](里坊名・須川名・龍石名・長野名・久保名)と町村の2名(慈恩寺名・見岳名)が西有家村となる。
- 1877年(明治10年)
- 6月4日 - 学区改正[5]により、「第五大学区第二中学区[6]須川小学校」に改称。
- 8月26日 - 暴風により再度校舎が倒壊したため、龍泉寺の隠居屋敷を仮校舎とする。
- 同年 - 飛町に移転するもわずか5日で類焼。
- 11月 - 須川名下八田にある八田屋の屋敷を仮校舎とする。
- 1878年(明治11年)12月24日 - 郡制の施行に伴い学区が改正され、「南高来郡 隅田部[7] 須川小学校」となる。
- 1879年(明治12年)- 西有家村の久保名が東有家村に統合される。
- 1880年(明治13年)12月30日 - 須川名字五反田に木造2階建ての校舎が完成し、「南高来郡 隅田部 詳精小学校」に改称。
- 1881年(明治14年)4月 - 修業年限が4年となる。
- 1882年(明治15年)5月 - 教育令の改正により「西有家学区公立中等詳精小学校」と改称。
- 1883年(明治16年)12月 - 龍石小学校を統合し、龍石分校とする。
- 1884年(明治17年)10月 - 「西有家学区公立中等西有家小学校」と改称。
- 1886年(明治19年)
- 9月 - 龍石分校を廃止(この後1888年(明治21年)に簡易慈恩寺小学校龍石分校として再開される)。
- 10月5日 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上「西有家学区 尋常西有家小学校」に改称。
- この年 - (長崎県)第七高等小学校(修業年限4年)が東有家村中須川名字堤156番地3[8]に設置される。(旧十八銀行有家支店跡地[9])
- 第七高等小学校は西有家村を含む6村の児童を対象としていた[10]。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の実施により、西有家村立の小学校となる。校舎がせまく階上に増築。
- 1891年(明治24年)12月 - 校舎を増築。
- 1892年(明治25年)10月 - 小学校令の改正により、「西有家尋常小学校」と改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1893年(明治26年)-(長崎県)第七高等小学校が廃止される。跡地に東有家村・西有家村・堂崎村三村学校組合有家高等小学校が設置される。
- 1899年(明治32年)- 本多重基の倉庫を分教室とする。
- 1900年(明治33年)- 2階建て校舎を増築。
- 1901年(明治34年)- 西川碧所有の倉庫を分教室とする。
- 1903年(明治36年)11月 - 初代校長に中村直三郎が就任。
- 1904年(明治37年)- 児童数の増加により、二部授業を行う。
- 1905年(明治38年)- 本多重基所有の倉庫を分教室とする。
- 1908年(明治41年)4月 - 義務教育年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1912年(明治45年)
- 3月 - 東有家村・西有家村・堂崎村三村学校組合立有家高等小学校が廃止される。
- 4月1日 - 有家高等小学校の廃止に伴い、高等科を併設の上「西有家尋常高等小学校」と改称(尋常科6年・高等科2年)。
- 1920年(大正9年)11月 - 西有家実業補習学校が併設される。
- 1926年(大正15年)7月 - 併設の実業補習学校が「青年訓練認定 西有家実業補習学校」に改称。
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 西有家村が町制施行により西有家町となったため、西有家町立の小学校となる。
- 教室不足により、尋常科1年において二部授業を実施。
- 1929年(昭和4年)3月 - 6教室が完成し、二部授業を解消。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 西有家町内の小学校に併設されていた実業補習学校5校が「青年訓練認定 西有家実業補習学校」1校に統合される。
- 1934年(昭和9年)4月1日 - 再び教室が不足するようになり、二部授業を実施。
- 1935年(昭和10年)10月1日 - 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が「西有家青年学校」となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行に伴い、「西有家町西有家国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1944年(昭和19年)11月15日 - 西有家青年学校が「西有家高等実業青年学校」に改組される。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 西有家国民学校の初等科が改組され、「西有家町立西有家小学校」となる。
- 西有家国民学校の高等科が青年学校の普通科とともに改組され、新制中学校「西有家町立西有家中学校」となる。
- 1949年(昭和24年)- 1974年(昭和49年)までの沿革は不明[11]。
- 1974年(昭和49年)5月23日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1975年(昭和50年)12月9日 - 旧西有家中学校跡地に小学校の新校舎の建設が開始。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)3月30日 - 旧校舎跡地に運動場を整備。
- 1978年(昭和53年)5月20日 - 体育館が完成。
- 1979年(昭和54年)12月1日 - 校章を制定。
- 1983年(昭和58年)10月2日 - 校旗が寄贈される。
- 1985年(昭和60年)11月 - 岩石園が完成。
- 1986年(昭和61年)3月31日 - 運動場を拡張。
- 1987年(昭和62年)
- 1月 - 特殊学級を一時休級。
- 4月1日 - 特殊学級を再開。
- 9月 - 運動場を改修。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 南島原市の発足に伴い、「南島原市立西有家小学校」(現校名)に改称。
- 2016年(平成28年)
交通アクセス
- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道・県道
- 最寄りの鉄道駅
周辺
著名な出身者
参考資料
- 「西有家町郷土誌」(1998年(平成10年)3月1日発行, 西有家町)p.579 -
- 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「西有家町」
脚注
- ^ 2016年(平成28年)4月統合前は南島原市西有家町の後に「須川、里坊」が続く地域であった。
- ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
- ^ 長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ a b この「名」(みょう)は「地区」を表す。
- ^ 長崎県教育史上巻p.441- - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
- ^ 長崎区を第一中学区、旧島原藩を第二中学区、旧大村藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
- ^ 現・南島原市有家町中須川字堤156番3号。
- ^ 現在、十八銀行有家支店は南島原市有家町山川133番4号にある。
- ^ 長崎県教育史下巻p.46 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ 「西有家町郷土誌」(1998年(平成10年)3月1日, 西有家町)p.585
- ^ 長崎新聞(2016年(平成28年)1月26日号)「慈恩寺小などで閉校式」
関連項目
外部リンク