初岡栄治
初岡 栄治(はつおか えいじ、1930年6月22日 - 2015年1月8日[1])は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。 来歴・人物下妻中では1947年に4番・投手として夏の甲子園茨城大会で優勝し、北関東大会に進出するも初戦で敗退。卒業後は東京鉄道局に進み、シュート、ドロップを武器に主戦投手として活躍。 その後は専修大学を中退し、1950年に新球団の国鉄スワローズへ入団。球威はないものの変化球や制球が良かったため高橋輝に次ぐ主戦投手として期待されたが、結果を出せずに2年目の1951年からは外野手に転向。3年目の1952年には規定打席に到達するが、佐藤孝夫の外野転向と安居玉一の入団、町田行彦の成長もありレギュラーから陥落。1955年退団。 退団後の1956年、藤田宗一・古谷法夫と共に日本通運へ入社。創部1年目の浦和野球部へ主将として入部し、1959年限りで現役を引退。 引退後は稲葉誠治監督の下でコーチ(1960年 - 1969年)→助監督(1970年)を務め、1964年の都市対抗優勝に貢献し、竹之内雅史・榊親一を送り出した。一時は社業に戻ったが、1974年に監督として現場に復帰。在任中は都市対抗に出場できず、日本選手権も1度(1975年)のみと期待に応えられなかったが、関東孝雄・村上之宏を送り出した。1976年退任。 2015年1月8日、死去。84歳没。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目 |