保阪尚希
保阪 尚希(ほさか なおき、本名:同じ、旧芸名:保坂尚希→保阪尚輝→保坂尚輝〈いずれも現芸名と読み同じ〉、1967年〈昭和42年〉12月11日 - )は、日本の俳優、タレント、健康料理研究家、通販コンサルティング。現在の所属事務所は有限会社サンクチュアリ。 略歴・人物1967年、静岡県静岡市生まれ。 7歳の時に両親が自殺[1]。中学卒業後、静岡北高等学校に入学するも一年で中退。アルバイトをしながら明治大学付属中野高等学校定時制へ通い卒業。 1983年から1986年の役者デビューまで、哀川翔、柳葉敏郎、小木茂光たちが所属していた劇男一世風靡と分裂した後の零心会に大道具係として参加していた。 1986年にテレビドラマ「チェッカーズ・イン・涙のリクエスト」への出演でデビュー[注 1]。同年、テレビドラマ『このこ誰の子?』では、影のある青年を演じ、注目されるようになる。 1990年代、多数のテレビドラマや映画に出演し、女性から人気をえていた。 1992年の映画『パ★テ★オ』では二役を演じ、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。 1994年のテレビドラマ『家なき子』では、主人公すずの担任で、小学生のときに、一家心中を試みた父親によって母親を殺害され、里子に出された過去を持つ不遇の教師を演じ、話題になった。 1998年11月より、『笑っていいとも!』の姓名判断コーナーで安斎勝洋から改名することを勧められ、芸名を保阪尚輝から保坂尚輝に改め、更に2005年8月より、芸名を本名と同じ保阪尚希に改める。 2000年に腹膜炎・内臓破裂で一時危篤状態となったが、緊急手術で一命をとりとめる。その後、健康や食生活に対する考えを改め、フードアナリストやジュニア野菜ソムリエなどの資格を取得。 現在では、簡単で楽しく料理できる調理器具や、健康的で美味しい食品を手軽に食べてもらえるようにとの思いを込めて商品開発も行う会社「保阪流」を設立。年商10億を稼ぐ通販コンサルタントとして大活躍している。 趣味芸能界屈指の釣り好きで知られ、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の釣りコーナーにおけるレギュラー的存在にもなった。釣りの経験はかなりあるようで、『生ダラ』で船釣りに行った際に時化の海で、石橋貴明や輪島大士が船酔いで苦しんでいるにもかかわらず、呑気に食事をしながら「だらしないなぁ、これ位で船酔いしちゃぁ」と悠然と構えていた。また、野々村真と釣り番組に出演し、野々村に魚の大きさで負けた際には「マコ兄ぃに負けるなんて、俺のプライドが許さない」と言っていることから、釣りの腕前には相当の自信を持っているようである。尚、保阪は「釣りは男の壮大なロマンだ!」と言っているが、前妻の高岡早紀に「いったい、何が面白いのか分からない」とバカにされたというエピソードも披露している。 料理の腕前はプロ級であり、結婚していた時は保阪が料理をしていたこともあった。その経験を買われたのか、日本テレビの朝のワイドショー『レッツ!』では全国の美味しい料理店のリポーターとしても活躍していた。 車好きは以前から有名で、一時は最大で38台もの車を所有し、月極駐車場を貸し切ってポルシェの全車種を同時に所有していたほどであった。 私生活一般女性と離婚後、1996年に女優の高岡早紀と2度目の結婚。二児をもうける。しかし高岡が布袋寅泰と不倫関係になり、2004年6月に離婚。離婚届提出後も子供のために、暫くの間同居を継続させていることを明らかにし、話題を集めた。同居を続けた理由のひとつとして、自身が幼少時代に経験した寂しい記憶を挙げている。両親の自殺により、突然自分の前から親が消えてしまったことが非常に辛い記憶になっており、何の予兆もなく、いきなり目の前から居なくなることをしたくなかった。同じような辛い経験を子供にはさせたくなかったから、と本人は語った。家にいる時間を徐々に短くしていき、半年後、保阪は家を出て正式に同居を解消(子供達の親権は保阪が得た)。 2007年3月22日、記者会見を開き、同年4月12日に熊本県合志市の六水院で得度を受け、両親の33回忌供養のために仏門に入る旨を明らかにした。剃髪は行わず、芸能活動も継続、法名は尚陽。翌年、両親の供養が終わった後に法名を返納、僧侶としての活動を終える。 出演テレビドラマ
映画
ゲーム
ナレーション
バラエティ
CM
著書
写真集
音楽シングル
タイアップ曲
脚注注釈
出典外部リンク
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