佐倉武夫佐倉 武夫(さくら たけお、1888年(明治21年)1月21日 - 1940年(昭和15年)9月29日)は、日本海軍の軍人。佐世保海兵団長。重巡足柄第六代艦長。最終階級は海軍少将。 略歴静岡県出身。静岡中学校を経て[1]、1909年(明治42年)11月、海軍兵学校(37期)卒業。1910年12月、海軍少尉任官。1912年(大正元年)12月、海軍中尉、1915年(大正4年)12月、海軍大尉・海軍大学校乙種学生、1919年(大正8年)9月、千歳水雷長/分隊長、同年12月、春風駆逐艦長、1921年(大正10年)12月、海軍少佐・海軍大学校入学(甲種学生)、1923年(大正12年)10月、海軍大学校甲種21期卒業(22名)・蔦駆逐艦長/水雷校教官、1926年(大正15年)12月、海軍中佐・横須賀鎮守府(人事局)、1931年(昭和6年)12月、海軍大佐・二等巡洋艦(軽巡)鬼怒艦長、1933年(昭和8年)11月、大湊要港部参謀長、1935年(昭和10年)11月、一等巡洋艦(重巡)足柄艦長。1936年(昭和11年)12月、佐世保海兵団長、1937年(昭和12年)12月、海軍少将。1938年(昭和13年)4月、軍令部出仕、同年12月15日、待命となり、21日、予備役に編入された。[2] 海軍兵学校(37期)同期に井上成美、海軍大学校(21期)同期に岡敬純、伊藤整一。墓所は多磨霊園(16-1-12-14) 親族
脚注
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