Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

伊達宗清 (吉岡伊達家)

 
伊達 宗清
時代 江戸時代前期
生誕 慶長5年(1600年
死没 寛永11年7月22日1634年8月15日
改名 権八郎(幼名)、宗清
墓所 宮城県黒川郡大和町吉岡の天皇寺
官位 河内守
主君 伊達政宗
陸奥国仙台藩
氏族 伊達氏→飯坂氏→伊達氏
父母 伊達政宗新造の方
飯坂宗康飯坂の局[注 1]
兄弟 秀宗五郎八姫忠宗宗清津多
亘理宗根宗泰宗綱宗信宗高
牟宇姫、竹松丸、宗実岑姫宗勝
千菊姫
留守宗利
飯坂定長(宗長)
テンプレートを表示

伊達 宗清(だて むねきよ)は、江戸時代前期の陸奥国仙台藩一門。陸奥国黒川郡吉岡城城主。吉岡伊達家は伊達氏庶流飯坂氏

略歴

慶長5年(1600年)、伊達政宗の三男[1]として誕生した。慶長9年(1604年)に飯坂宗康の養嗣子となる。慶長15年(1610年)に11歳で元服し、後に伊達姓を賜り伊達河内守宗清と称した。黒川郡吉岡3万8千石を領し下草城に入り、元和元年(1615年)に吉岡要害の築城にかかり、翌年に吉岡要害に移った。

寛永11年(1634年)7月22日に死去した[1]。享年35。墓所は天皇寺にある。死去の際に大和田佐渡ほか13人が殉死した。

吉岡伊達家は無嗣断絶となったが、のちに桑折重長の子・定長(のち宗長)が再び飯坂姓で跡を継いだ。

脚注

注釈

  1. ^ 新造の方が生母で飯坂の局が養母とする説(『飯坂盛衰記』『竜華山史』)、飯坂の局が生母とする説(『寛政重修諸家譜』)などがあり、大河ドラマ『独眼竜政宗』では後者を採用している。

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya