二村忠元二村 忠元(にむら ただもと、1917年11月9日 - 1982年12月18日)は、日本の工学者。東北大学名誉教授。専門は電気音響工学。 略歴・人物長野県松本市出身[1]。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校理科甲類を経て、1940年(昭和15年)京都帝国大学工学部電気工学科卒業。 東京大学、東北大学で1年間研究に従事した後、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで、創設時の京城帝国大学理工学部助教授を務める。1946年(昭和21年)、東北大学助教授。1951年(昭和26年)、東京大学から理学博士の学位を取得。1955年(昭和30年)、東北大学教授に昇任 [2]。 ダイナミックスピーカーの改良、スピーカアレイの設計法、残響可変装置、電気的な残響付加装置など先進的な研究に取り組む。他にも室内音響設計に積極的に取り組み、代表的なものだけでも、CBCホール、名鉄ホール、杉並公会堂、札幌市民会館や、仙台市内では、電力ホール、東北大学川内記念講堂、宮城県民会館、仙台市民会館などがあげられる。 日本音響学会の副会長(1971-1973)、会長(1977-1979)を歴任。1975年には仙台で、騒音に関する総合的な国際会議である「internoise75」を開催。これが契機となり、1976年に日本騒音制御工学会が創立されると、初代副会長、後に会長(1980-1982)を務める。1955年には「拡声器」「室内音響」「騒音防止」に関する業績により河北文化賞を受賞。 1980年に停年退官後、東北学院大学工学部に着任したが、惜しくも1982年12月に、当時、東北新幹線の始発駅であった大宮駅で亡くなる[3]。 脚注
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