三宅晴輝三宅 晴輝(みやけ せいき、1896年3月4日 ‐ 1966年9月1日)は、日本の実業家、経済評論家。 兵庫県出身。1919年早稲田大学商科卒。三菱商事をへて1924年東洋経済新報社の記者となり、電力部門を担当、松永安左エ門、小林一三らの知遇を得た。1940年常務理事ののち退社。戦時中、九州の旅館で朝香宮の行状を女中に話したことが刑事に知れ、不敬罪で懲役1年半(執行猶予2年)の判決を受けた。戦後はNHK理事ののち1948年東宝取締役、東宝争議で退社。産経新聞論説委員、NHK放送審議会委員[1][2]。日本エッセイスト・クラブ賞選考委員。子に英語学者の三宅鴻。 著書
共著編
論文注 |