一口香一口香 (いっこうこう)(いっこっこうと呼ぶ地域もある)は、長崎県、愛知県の郷土菓子。佐賀県嬉野市や佐賀市にも同種の菓子があるが、これは「逸口香(いっこっこう)」と称される。 製法小麦粉・水飴・水・黒糖・生姜・唐灰汁(かんすいの一種)・胡麻、重曹等を原料にした焼き菓子で、大まかな製造法は水飴を溶かした湯水で練った小麦粉の皮で黒糖の飴を包み、オーブンで焼き上げる。小麦粉と水飴の皮はボーロ状となり、中の黒糖の飴は溶けて皮に付着して空洞となる。その独特の製法と中が空洞という形状から「からくりまんじゅう」とも呼ばれる。饅頭状(一部は煎餅状)に焼き上げるため、胡麻を振った裏面のみに焦げ目が付く。このため、ひっくり返して表面にも焦げ目を付ける。 サイズは唐饅頭の煎餅程の物から愛知県の十円硬貨程の一口サイズの物まで様々である。 長崎県や愛媛県では黒糖餡の他に、柚子ジャムを用いた餡や紫芋餡、抹茶餡等のバリエーションが存在する。また、硬めの仕上がりを避けて比較的ソフトな食感に仕上げた一口香も存在する。 概要製法から外来の菓子と考えられるが、来歴などは詳らかではない。全国銘産菓子工業協同組合副理事長の村岡安廣は、外見や中空という特徴が酷似することから、中国山西省の伝統料理「空心餅」が形を変えて日本に伝来したと推定している[1]。 一口香と呼ばれる菓子は、長崎県・佐賀県・愛知県で主に生産されている。長崎では1884年に唐饅頭の製造が始まり、これが後に一口香と名付けられ、長崎街道を通じて佐賀へ伝播したとされる[1]。佐賀県では、逸口香と表記され、大きさも長崎のものより大型化した[1]。ショウガの香りを加えた皮を用いるのが特徴で、嘉永年間の頃より作り始められたとも、中国の唐の時代に滋養豊富な菓子として伝えられたとも言われる[2]。愛知県常滑市の一口香は、1659年に尾張藩主が命名したと伝わるが、その経路は定かではない[1]。愛媛県宇和島市には唐饅頭という類似の菓子があったが、現在は生産されていない[1]。 江戸時代の製菓書には一口香と製法が酷似した「胡麻餅」の記載がある。また、大きく見えてその実中身ががらんどうであることを以て「ごまかす」の語源の一説とされる「胡麻菓子(胡麻胴乱)」も、一口香とよく似た製法(小麦粉を水で硬めに練った生地で砂糖を包み込み、外面にゴマをまぶし、これを窯で焼いた。熱で砂糖が溶けて中が空洞となる。胴乱は江戸時代の装身具でポシェットのような物)である事から、伝来した時期はかなり早いと考えられる。ただ、これらは製法・形状が似ているものの、小麦粉を水のみで練る(一口香や唐饅頭は水あめと湯水を混ぜた飴湯で小麦粉を練る)など、現在の一口香と異なる部分もあり、直接的なつながりは不明である。[独自研究?] 現在、長崎市には一口香と良く似た「胡麻パン」もしくは「糖餅」と呼ばれる中華菓子がある。サイズ的には唐饅頭ほどであるが、空洞はそれ以上に大きく(風船状に膨らんでいる)、菓子の表面全体に白ゴマがまぶされており、空洞上の内部の皮には黒砂糖の餡が付着している。これは福建省の駄菓子とされているが、中国本土では既に途絶してしまったと言われている。なお、台湾では、現在でも「椪餅」(椪はポンカンを意味する。膨餅、香餅、凸餅ともいわれる)と呼ばれる一口香や胡麻パンによく似た菓子(中が空洞であり、カラメル状の砂糖餡が入っている。黒砂糖と白砂糖の二種類があり、菓子店によっては更なるアレンジも施されている。一口香同様、栄養価が高いため、古くは産後の栄養補給にも用いられていた)が存在している。この胡麻パン及び椪餅が一口香と同じ起源を持つ可能性があると考えられる。[独自研究?] 関連項目脚注
外部リンク
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