ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(ドイツ語: Walther von der Vogelweide, 1170年頃 - 1230年頃)は、ドイツの叙情詩の詩人。中世ドイツにおける質量とも他の追随を許さない第一の抒情詩人、「ミンネゼンガー」(ドイツ語: Minnesänger)。中高ドイツ語によって宮廷恋愛歌(ミンネザング)、教訓詩、格言詩、政治詩、挽歌、宗教詩と多分野にわたって傑作を生みだし、長く後世に大きな影響を与えた。ゴットフリート・フォン・シュトラースブルクは『トリスタンとイゾルデ』において「歌人の群れの旗手となるべき人」「頭領」と讃えている[1]。
この説に対して、ベルント・トゥム(de: Bernd Thum、1941-2018; ドイツ、カールスルーエ大学教授)は1977年と1981年に強力な援護をした。トゥムはヴァルターの作品、特に「エレジー」「悲歌」(Alterselegie)として知られる、十字軍勧誘の歌[6]を分析し、ヴァルターの出生地は当時の旅行ルートから遠く離れたところにあり、その地域の土地は開墾地だったと推論した。ヴァルターが自分の悲しみを„bereitet ist daz velt, verhouwen ist der walt“(自然の荒野は整えられて 森の樹々も伐り払われてある)〔村尾喜夫訳〕と吐露したことが、その根拠だった。
一方、19世紀においては、フランツ・プファイファー(de:Franz Pfeiffer (Germanist), 1815–1868) が主張し始めた、南チロルのヴィップ渓谷説が広まっていた[7]。イザルコ川のシュテルツィングの小さな町からそう離れていないところで、そこには „Vorder- und Hintervogelweide“ と呼ばれる森がある、というのがその根拠だった。しかし、これはヴァルターが何十年も生まれ故郷を訪れることがかなわなかったという嘆きと反するとされた。
その他、出生地としてスイス、ヴュルツブルク、フランクフルト等も取り沙汰われたことがある[8]。ショルツ(Manfred Günter Scholz;1938-)は1999年に前書きを記した書物において「ヴァルターの生まれ故郷については確たることは言えない」( ≫Sicherheit also ist in der Frage von Walthers Geburtsheimat nicht zu gewinnen. ≪ )と慎重である[9]。
師にしてライバル ラインマル・フォン・ハーゲナウ
ヴァルターは若い頃、オーストリア公レオポルト 5 世のウィーンの宮廷で、有名なミンネゼンガー、ラインマル・フォン・ハーゲナウ(ドイツ語: Reinmar von Hagenau またはラインマル・デア・アルテ ドイツ語: Reinmar der Alte)の下で修行した。オーストリア宮廷で全盛を誇った師匠ラインマルの死について、後にヴァルターは、「勝れた才能」を発揮して「一日たりとも倦むことなしに婦人たちを称えた」、と追悼している[10]。続いてヴァルターはオーストリア公フリードリヒ 1 世の庇護を受けた。彼にとっては最初のパトロンである。この時期は彼の人生の中で最も幸せだった時期で、彼は愉快でのびのびした恋愛叙情詩を生み出したが、1198年のフリードリヒ 1 世の死でそれは終わってしまった[11]。
王侯との関わりにおいて、後世への影響の観点から最も重要なのは、テューリンゲン方伯ヘルマン1世の宮廷に滞在したことであろう。ある詩(L. 35,7)においては、「私はお気前の良い方伯の家臣」(村尾訳)とその幸福感を素直に表明している[15]。1207年ヴァルトブルク城での歌合戦にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハらと共に参加していたとされる伝説は[16]、リヒャルト・ワーグナーのオペラ「タンホイザー」にもつながっていく。また、マイセン辺境伯ディートリヒのためにも称賛の歌を歌った[17]。ケルンテン公ベルンハルト2世(Bernhard II., Herzog von Kärnten; 在位1206年-1256年)[18]とその宮廷人に対する不満を表す詩(L. 32,17とL. 32,27)も残されている[19]。その他に、日本においてもよく知られている「世界遺産 ロマンティック・ライン ライン渓谷中流上部」の「ねこ城」(Burg Katz)こと「ノイカッツェンエルンボーゲン」(Neukatzenelnbogen)城と関係の深いカッツェンエルンボーゲン伯(Graf von Katzenelnbogen)に宛てた歌もある[20]。
ハインリヒ6世の死後、ドイツ諸侯はその3歳の息子フリードリヒ(1194年 - 1250年、後の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)をローマ王(ドイツ王)に選出したが、教皇が承認しなかったため、王位をめぐってホーエンシュタウフェン家出身のフィリップ・フォン・シュヴァーベン(1176年 - 1208年;ハインリヒ6世の弟)とヴェルフェン家出身のオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク(1177年 - 1218年;後の神聖ローマ皇帝オットー4世)が争い、帝国は荒廃した。フィリップは、1198年3月8日にローマ王(ドイツ王)に選ばれ、9月8日にはマインツで戴冠式が行われたが、ヴァルターはその間、フィリップ支持の歌を歌った [22]。しかし、1208年6月21日、フィリップが暗殺されてしまう。1208年11月11日、オットーはフランクフルトにおいて満場一致で国王に選出され、1209年9月27日、サンピエトロ寺院で教皇によって皇帝の戴冠を受ける[23]。ヴァルターはローマからドイツに帰還するオットーに皇帝と呼びかけて歓迎する[24]。その後、期待を裏切られたと感じた教皇は1210年11月11日オットーを破門する[25]。ヴァルターはこの態度を非難して、教皇の口には二枚舌があると歌う[26]。教皇が1213年に十字軍のために教会に置かせた献金箱については、ドイツ人の富を集めて教皇と教皇庁を豊かにする装置と非難する歌(L. 34,4とL. 34,14)を歌っている[27]。オットー4世は1214年のブーヴィーヌの戦いにおいて惨敗する。ヴァルターはその後、フリードリヒ2世のために歌う[28]。もっとも、このようなヴァルターの態度は「変節」ととるべきではなく、「王位・皇帝位を目指す者を支持する諸侯間の合従連衡の激変が反映しているだけ」(≫In Walthers Verhalten spiegelt sich nur der rasche Wechsel der Fürstenkoalitionen, von denen die Bewerber um die Krone unterstützt wurden. ≪)と見なすべきである[29]。皇帝と教皇が対立した際ヴァルターは教皇批判の立場を貫いたが、アクイレイアの司教座教会参事会会員トマズィン・フォン・ツェルクレーレ(Thomasin von Zerklaere, Tomasinus de Cerklara)は『異国の客』(Der Welsche Gast, Der Wälsche Gast)(1215/16年)において[30]、ヴァルターは教皇批判の歌で「千人もの人々を混乱させた」(≫… tûsent man betoeret hât. ≪)と非難している。ドイツ諸侯の宮廷でのヴァルターの影響の大きさを物語る証言と言えよう[31]。
彼の初期の詩は生きる喜びに、自然への情感に、愛への賛美に満ちている。大胆なことに、愛は高貴な生まれで身についたしきたりをも超越し、「女性」と「淑女」との優位性すら逆転する。彼の詩で最も美しいといわれる『菩提樹の下で(Under der linden)』は、どこにでもいる一人の少女の立場から歌われたものである。初期の喜びに溢れた詩の中にも、ある程度のシリアスさは見られたが、それは年を経るごとに顕著になっていく。宗教的で教訓的な詩が頻繁になってくるのだ。愛の賞賛は、政治不安に動揺してあやふやなものになってしまった道徳的規範への抗議に変わる。
彼の姿勢は一貫して健全で良識があったと考えられている。十字軍勧説の歌を作る一方で、「キリスト教徒もユダヤ人も異教徒も、世の中のありとあらゆる不思議なものを養い給う御方に仕えている」〔村尾喜夫訳〕(im dienent kristen, juden unde heiden,/der elliu lebenden wunder nert; L. 22,16/17)と歌っている。
ヴァルターは「偽りの愛」を痛烈に非難し、一方で「愛は罪なり」と主張する人々を軽蔑した。禁欲的な規範と乱れきった道徳に満ちたその時代、彼は騎士道精神に鼓舞された信条を訴えたが、それと一致するものは、ありきたりなものですら存在しなかった。「Swer guotes wîbes liebe hât/Der schamt sich ieder missetât(良き女性に愛される者は、どのような悪行をも恥じる)」。
同時代の詩人ザンクトガレンの内膳頭(ないぜんのかみ)ウルリヒ・フォン・ジンゲンブルク(Ulrich von Singenburg, der Truchsess von Sankt Gallen;1209年から1228年まで史料あり)はヴァルターを「我等の歌の師匠」(unsers sanges meister)と呼び、「世の人々に多くを教えた」(swaz er ê der welte erkande)と追悼している[39]。ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの後世への影響は計り知れない。その名声は中世を通じて高く、ルネサンス期、バロック期にも忘れられることはなかった。13世紀後半から14世紀初頭にかけて活躍した、「言葉の錬金術師とも言うべき」格言詩の遍歴歌人、フラウエンロープはヴァルターの「広く深い思考法と多彩な詩作法」を踏襲した[40]。ハンス・ザックスに代表される職匠歌人(マイスタージンガー)の世界では、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ、フラウエンロープらとともに ’die 12 alten Meister’(「十二先師」)の一人として崇められ、一連のヴァルターの調べ(Ton)に彼らは新しい歌詞をのせた[41]。「啓蒙主義時代末期から、とりわけロマン派時代に「中世」が再発見されたとき、ヴァルターはドイツ人にとって特別な役割をはたした。当時ドイツ語圏は英仏とは異なり無数の小国にわかれ、市民には政治的権利が認められていなかった。中世は過ぎ去った栄光の時代とされ、ヴァルターはこの栄光の告知者、中世の国民詩人とみなされた」[42]。
Walther_von_der_Vogelweide, Die Gedichte. Herausgegeben von Hermann Paul. Nach der 6-8. Auflage besorgt von Albert Leitzmann. In 9. durchgesehener Auflage besorgt von Hugo Kuhn. Tübingen: Niemeyer 1959 (=ATB 1)
Die Lieder Walthers_von_der_Vogelweide. Unter Beifügung erhaltener und erschlossener Melodien neu herausgegeben von Friedrich Maurer. 1. Bändchen. Die religiösen und die politischen Lieder. 2. verbesserte Auflage. Tübingen: Niemeyer 1960 (=ATB 43)
Die Lieder Walthers_von_der_Vogelweide. Unter Beifügung erhaltener und erschlossener Melodien neu herausgegeben von Friedrich Maurer. 2. Bändchen. Die Liebeslieder. 2., verbesserte Auflage. Tübingen: Niemeyer 1962 (=ATB 47)
Friedrich Maurer, Die politischen Lieder Walthers_von_der_Vogelweide. Zweite Auflage. Tübingen: Niemeyer 1964
Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X)
Walther von der Vogelweide, Sprüche/Lieder/Der Leich. Urtext/Prosaübertragung. Herausgegeben und übersetzt von Paul Stapf. Berlin/Darmstadt: Tempel-Verlag 1955/63
Hans Böhm, Die Gedichte Walthers von der Vogelweide. Urtext mit Prosaübersetzung. Berlin: de Gruyter 1964
Walther von der Vogelweide, Die Gedichte. Mittelhochdeutscher Text und Übertragung. Ausgewählt, übersetzt und mit einem Kommentar versehen von Peter Wapnewski. Frankfurt a.M./Hamburg: Fischer Bücherei 1962,...
『中世ドイツ騎士歌人たちの愛の歌と格言詩』(Minnesang und Spruchdichtung um 1200-1320), 古代音楽合奏団(de:Studio der frühen Musik)演奏. LP Teldec „Telefunken-Decca“ 1966, 日本発売元・キングレコード1969に「ゲルハルト・アーツェ殿が私の馬を」(Mir hât hêr Gêrhart Atze ein pfert[L.104,7-22];Swâ guoter hande wurzen sint[L.103,13-28]; Uns irret einer hande diet[L.103,29-104,6])、「荒れ地の菩提樹の木蔭に」(Under der linden[L. 39,11-40,18])、「いまぞはじめて生き甲斐の」(Allerêrst lebe ich mir werde)[L. 14,38-16,35; Str. IV/Vは省略])が収録されている。
de:Bärengässlin, Frau Welt, ich hab von dir getrunken. Walther von der Vogelweide. LP. pläne, Dortmund 1980. Wiederveröffentlichung: CD. pläne, Dortmund 2002.
The Gedichte were edited by Karl Lachmann (1827). This edition of the great scholar was re-edited by M. Haupt (3rd ed., 1853).
Walther v. d. Vogelweide, edited by de:Franz Pfeiffer, with introduction and notes (4th edition, by Karl Bartsch, Leipzig, 1873). Glossarium zu d. Gedichten Walther's, nebste. Reimverzeichnis, by CA Hornig (Quedlinburg, 1844).
There are translations into modern German by B Obermann (1886), and into English verse Selected poems of Walter van der Vogelweide by W Alison Phillips, with introduction and notes (London, 1896).
The poem Unter der Linden, not included in the latter, was freely translated by TL Beddoes (Works, 1890), more closely by WA Phillips in the Nineteenth Century for July 1896 (ccxxxiii. p. 70).
Leben u. Dichten Walthers von der Vogelweide, by Wilhelm Wilmanns (Bonn, 1882), is a valuable critical study of the poet's life and works.
Thomas Bein: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Reclam (Universal-Bibliothek; Nr. 17601: Literaturstudium) 1997. ISBN 3-15-017601-8.
Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler (Sammlung Metzler 40) 1965.
Friedrich Maurer: Die politischen Lieder Walthers von der Vogelweide. Tübingen: Niemeyer 1964
Die Lieder Walthers von der Vogelweide. Unter Beifügung erhaltener und erschlossener Melodien neu herausgegeben von Friedrich Maurer. 1.Bändchen. Die religiösen und die politischen Lieder. Tübingen: Niemeyer 2. Auflage 1960 (=Altdeutsche Textbibliothek Band 43)
Die Lieder Walthers von der Vogelweide. Unter Beifügung erhaltener und erschlossener Melodien neu herausgegeben von Friedrich Maurer. 2.Bändchen. Die Liebeslieder. Tübingen: Niemeyer 2. Auflage 1962 (=Altdeutsche Textbibliothek Band 47)
^ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク『トリスタンとイゾルデ』(石川敬三訳)1976年 郁文堂 84頁上 - Gottfried von Straßburg, Tristan. Nach dem Text von F. Ranke neu hrsg., ins Nhd. übersetzt, mit einem Stellenkommentar und mit einem Nachwort von R. Krohn. 3 Bde. Stuttgart: Reclam 1980, Bd. 1, S. 294.
^パッサウ司教ヴォルフガー(Wolfger)は1204年-1218年アキレイアの総大司教であった。ヴァルターは司教を「気高くて非の打ちどころなき総大司教」(L. 34,36)と形容し、自身がその宮廷で歓待されたことを歌っている。- 村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、114-115頁。
^Thomas Bein: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Reclam 1997. S.26-27. - Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler 1965. S. 14.
^石川敬三訳 「ワルター 詩集」(Gedichte):訳者代表 呉茂一・高津春繁『世界名詩集大成 ①古代・中世編』平凡社、1960年、303-304頁。 - 村尾喜夫訳注 『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide)三修社、1969年、188-194頁。L. 124,1.
^Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler (Sammlung Metzler 40) 1965. S. 12.
^Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler (Sammlung Metzler 40) 1965. S. 9-12.
^ Manfred Günter Scholz : Walther von der Vogelweide. 2., korrigierte und bibliographisch ergänzte Auflage. Stuttgart/Weimar: Metzler (Sammlung Metzler Band 316) 2005, (ISBN 978-3-476-12316-9), S. 8.
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、62-65頁。
^ヴァルターは十字軍従軍中に亡くなったパトロンの死を、「高く胸張る私の歩みを彼は地下へお持ちなされた」と惜しんだ。- 村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、12/13頁。
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、20-23頁。
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、22-25頁。
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、120-121頁。- Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 502.
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、106-109頁。- Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 503.
^ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハは『パルチヴァール』297詩節において、ヴァルターがヘルマンの宮廷に出入りする人々にむかって、「今日は、悪しき方々と善き方々よ」と皮肉交じりに呼びかける歌を物したと述べている。- ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『パルチヴァール』(加倉井粛之、伊東泰治、馬場勝弥、小栗友一 訳) 郁文堂 1974年 ISBN 4-261-07118-5。改訂第5刷 1998年、156頁上。このヴォルフラムの「引用」は、この宮廷の浪費と騒がしさを歌ったヴァルターの歌から来ていよう。- 村尾喜夫訳注『ワルターの歌』(Die Lieder Walthers von der Vogelweide)三修社、1989年、18-21頁。
^尾野照治『中世ドイツ再発見』近代文芸社 1985年 ISBN 4-7733-6254-5. C 0095. 242-243頁。- もっとも、「気品高きマイセン伯が / フランケンより私に歌をお持ち下された、/ それはルートウィヒ様からの届け物」(村尾訳)で始まる歌(L. 18,15)は、マイセン辺境伯ディートリヒではなく、バイエルン公ルートヴィヒ 1 世(1174-1231;在位1183以降)賞賛の歌かもしれない。村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、60-63頁。- 「皇帝陛下 お迎え申し奉る」(村尾訳)と、ローマでの皇帝戴冠を終えドイツに帰還したオットー4世を歓迎し、「マイセン伯こそ / まさしく常にあなたのものだ」とマイセン辺境伯ディートリヒをオットーに売り込む歌(L. 11,30)もヴァルターは歌っている。村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、78-81頁。- 一方、詩人はマイセン辺境伯を称賛する歌を歌ったにも拘わらず、ふさわしいお返しがなされていないと非難する歌(l. 106,3 und L. 105,27)もある。村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、88-93頁。
^Lexikon des Mittelalters. Bd. I. München/Zürich: Artemis 1980 (ISBN 3-7608-8901-8), Sp. 1986.
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、108-111頁。- Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 502-503.
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、146-149頁。- Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 512. - Michael Imhof / Stephan Kemperdick: Der Rhein. Kunst und Kultur von der Quelle bis zur Mündung. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2004 (ISBN 3-534-17215-9). S. 103. - Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 1080 (Beitrag von A. Gerlich). - なお、「カッツェンエルンボーゲン」(Katzenelnbogen)を「カッツェンエレンボーゲン」(Katzenellenbogen)とする記述もある。また、ライヒェンベルク城(Burg Reichenberg)とラインフェルス城(Burg Rheinfels)も同カッツェンエルンボーゲン伯爵家による建築である。さらに、マルクスブルク城(Marksburg)はエップシュタイン伯爵家(Grafen von Eppstein)の建造によるが、一時期カッツェンエルンボーゲン家の手に帰している。Gertrude Cepl-Kaufman / Antje Johanning: Mythos Rhein. Zur Kulturgeschichte eines Stromes. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2003 (ISBN 3-534-15202-6), S. 22-23.
^ヴァルターは例えば、天使の口を借りて、コンスタンティヌス大帝がローマ教皇に権威の象徴として「槍、十字架、冠」を贈呈したことを、教会の堕落の原因とまで指弾している。- 村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、26-29頁。
^ヴァルターは、”Philippe setze en weisen ûf” (L.9,15)「フィリップにこそ王冠をかぶせよ」(村井訳)/「帝冠をフィリップに戴かしめよ」(尾野訳)、”Diu krône ist elter dan der künec Philippes sî …” (18,29ff.) 「冠は古い フィリップ王より・・・」(村井訳)などの訴えでフィリップこそ王/皇帝にふさわしいと歌い、1199年クリスマスのマクデブルクでの宮廷会議に際しては”Es gienc, eins tages als unser here wart geborn … ” (L.19,5ff.)「我等の主が・・・フィリップ王は申し分なくうるわしく玉歩を進められた」(村井訳)で始まる歌で、王位の象徴たる笏を手に、頭上には冠を頂いた王とその妃を賛美している。- 村尾喜夫訳注『ワルターの歌』(Die Lieder Walthers von der Vogelweide)三修社、1989年、4/5,12/13,14/15頁; 尾野照治『中世ドイツ再発見』近代文芸社 1985年 ISBN 4-7733-6254-5. C 0095. 212頁。
^「皇帝陛下 お迎え申し奉る」で始まる歌(L. 11,30)。村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、78-81頁。なお、L.12,18とL.12,6も同じように”Her keiser” で始まるが、L.12,18は皇帝のとるべき政治的姿勢を説き、L.12,6は十字軍への関わりを促している。村尾喜夫訳注『ワルターの詩』、86-89頁。マウラーは、ヴァルターのオットー帝に関わる詩は、教皇による破門の後に目立ってきた、反オットー派の動きの活発化に対処するために皇帝が開催したフランクフルトでの帝国会議(1212年)に関わると主張している。Friedrich Maurer: Die politischen Lieder Walthers von der Vogelweide. Tübingen: Niemeyer 1964, S. 61.
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、124-127頁。
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、102-105頁。- Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 504-505.
^ヴァルターは2編の詩(L. 26,23とL. 26,33)において、オットーを、もはや王とも皇帝とも呼ばずにその吝嗇さを非難しつつ、フリードリヒを王として呼び、彼が気前良く振る舞うことを期待している。- 村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、124-127頁。
^ Joachim Bumke: Geschichte der deutschen Literatur im Mittelalter. Bd.II: Geschichte der deutschen Literatur im hohen Mittelalter. München: Deutscher Taschenbuch Verlag 1990 (ISBN 3-423-04552-3). S. 129.
^Lexikon des Mittelalters. Bd. VIII. München: LexMA Verlag 1997 (ISBN 3-89659-908-9), Sp. 727-728.
^Wälscher Gast, v.11223. Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler (Sammlung Metzler 40) 1965, S. 1. - Joachim Bumke: Geschichte der deutschen Literatur im Mittelalter. Bd.II: Geschichte der deutschen Literatur im hohen Mittelalter. München: Deutscher Taschenbuch Verlag 1990 (ISBN 3-423-04552-3). S. 132.
^村尾喜夫訳注『ワルターの詩』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、212-215、216-219頁。- Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X), S. 516-517. - Thomas Bein: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Reclam (Universal-Bibliothek; Nr. 17601: Literaturstudium) 1997. (ISBN 3-15-017601-8) S. 220.
^もっとも、伝説では、ヴァルターの鳥のための遺言は、教会参事会によって変えられ、ヴァルターの年ごとの記念日に司教座聖堂参事会員に与えられるゼンメル(小型で皮の堅い白パン)になったという。Historische Sagen. Herausgegeben und erläutert von Leander Petzoldt. Bd. 1. : Fahrten, Abenteuer und merkwürdige Begebenheiten. München: Beck 1976 (ISBN 3-406-00723-6), S. 270.
^Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler (Sammlung Metzler 40) 1965. S. 24-25. - Thomas Bein: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Reclam (Universal-Bibliothek; Nr. 17601: Literaturstudium) 1997. ISBN 3-15-017601-8. S. 30-31.
^Günther Dietel: Reiseführer für Literaturfreunde. I: Bundesrepublik Deutschland einschl. Berlin . Frankfurt/M-Berlin: Ullstein 1965. S. 322.
^ボルツァーノのヴァルター像建立は、詩人の生誕地を南チロルと見なす考えに由来する。Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler (Sammlung Metzler 40) 1965. S. 12.
^ Manfred Günter Scholz : Walther von der Vogelweide , 2., korrigierte und bibliographisch ergänzte Auflage. Stuttgart/Weimar: Metzler (Sammlung Metzler Band 316) 2005 (ISBN 978-3-476-12316-9), S. 18.
^Thomas Bein: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Reclam (Universal-Bibliothek; Nr. 17601: Literaturstudium) 1997. (ISBN 3-15-017601-8) S. 255-256.
^ Thomas Bein: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Reclam (Universal-Bibliothek; Nr. 17601: Literaturstudium) 1997. (ISBN 3-15-017601-8) S. 257.
^Prof. Dr.de: Ulrich Müller (Salzburg): Das Weiterleben mittelhochdeutscher Lyrik in der Gegenwart (mit Musikbeispielen). [1988年9月27日、名古屋大学での講演;講演要旨:小栗友一] 日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』21号 1989年 155頁。- Thomas Bein: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Reclam (Universal-Bibliothek; Nr. 17601: Literaturstudium) 1997. ISBN 3-15-017601-8. S. 255-264. - Kurt Herbert Halbach: Walther von der Vogelweide. Stuttgart: Metzler (Sammlung Metzler 40) 1965. S. 1-8.
^ Joerg Schaefer, Walther von der Vogelweide. Werke. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 1972 (ISBN 3-534-03516-X),S.428. – de:Hoffmann von Fallerslebenの作詞した歌詞は、第1番から第3番まであり、現在は第3番のみドイツ国歌となっている。全詩節については、ディールク・シュトゥッケンシミット編著『ドイツのフォークロア―文学の背景としてのわらべうたからアングラまで』(塚部啓道・水谷泰弘・小栗友・柴田庄一訳)(Dierk Stuckenschmidt: Was jeder Deutsche kennt… Deutsche Literatur außerhalb der Literaturgeschichten)南江堂 1975、155-156頁に紹介されている。また、田辺秀樹『NHKCDブック やさしく歌えるドイツ語の歌』日本放送出版協会 2006(ISBN 4-14-039434-X)、67頁及び Prof. Dr. de: Ulrich Müller (Salzburg): Das Weiterleben mittelhochdeutscher Lyrik in der Gegenwart (mit Musikbeispielen) . [1988年9月27日、名古屋大学での講演;講演要旨:小栗友一] 日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』21号 1989年 155頁参照。
^Prof. Dr. de: Ulrich Müller (Salzburg): Das Weiterleben mittelhochdeutscher Lyrik in der Gegenwart (mit Musikbeispielen). [1988年9月27日、名古屋大学での講演;講演要旨:小栗友一] 日本独文学会東海支部『ドイツ文学研究』21号 1989年 155-157頁。
^Die Gedichte Walthers von der Vogelweide. Herausgegeben von Karl Lachmann. 13., auf Grund der 10. von Carl von Kraus bearbeiteten Ausgabe neu herausgegeben von Hugo Kuhn. Berlin: de Gruyter 1965, S. 9-10. = L. 8,4-8,27.