ロンドンブーツ1号2号
ロンドンブーツ1号2号(ロンドンブーツいちごうにごう)は、田村淳と田村亮からなる男性お笑いコンビ。略称は「ロンブー」、「ロンドンブーツ」。亮はフリー、淳は吉本興業所属。 メンバー
後述するが、「1号」「2号」の区別は曖昧であった中、「襲名」を期に区別を明確にした。 亮は大阪出身であるが、東京でデビューしたため、共通語と関西弁が混交しており、「それ、あかんだろ」などの“東西チャンポン”のツッコミは同業者がたまに真似る。デビュー直後、キャラクターを模索中の頃は淳も関西弁を使っていた時期があった。 同じ姓であるが、血縁関係はない。 本来のスタイルは淳がボケ、亮がツッコミだが、ボケとツッコミがはっきりしないコンビになっている。 ロンドンブーツ複数号計画のメンバー
来歴・人物田村淳は地元・下関で同級生と「ふぐの助ふぐ太郎」を結成。同じ下関出身のロックバンド『KATZE』の所属する事務所からスカウトされ、デビュー。しかし相方が失踪してしまい、ふぐの助ふぐ太郎は解散。事務所から「とりあえず次に組む相方を見つけろ」と言われる。後に事務所を退社し、知り合いの伝で東京のインディーズお笑い集団・集団田中に所属し、相方を探す。 一方、田村亮は兄の影響でラジオのハガキ職人になり芸人に憧れを持つようになる(当時のラジオネームはランニングホームラン王)。お笑い雑誌から集団田中の存在を知り、所属となる。 集団田中にて出会い、1993年にコンビ結成。渋谷で路上ライブを行い、多数の観客を集めるようになる。当時のネタのひとつに「精子爆裂隊」がある。1994年4月、銀座7丁目劇場のオーディションに合格して吉本興業に入る。同期にDonDokoDon、ペナルティなどがいる[注 1]。 当初、コンビ名を「タムタム」や「ドドリアン」としていた時期があった。最終的に「スライム工場101」と「ロンドンブーツ1号2号」で迷い、後者に決定。コンビ名の名付け親は亮で、最初期の演目のタイトルから取った[注 2][6]。「1号2号」は「どちらが1号でどちらが2号ですか?」と聞かれることを狙ったもので、実際の区別を意識したネーミングではなかった。ただし曖昧ながらも、結成当初より年上の亮が「1号」の立場だった。 タモリのSuperボキャブラ天国では「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」のコーナーに出演。芸人がネタの評価を競うスタイルが後に人気となるが、その初期の出演者の1組だった。ネタには(オチのフレーズが)長文のものが多く、高評価を得ることもあった。番組内で独自に付けられる芸人別のキャッチフレーズは「くいだおれパンクス」。 CX深夜の帯番組「UN FACTORY カボスケ」(1995年)にて、数多く出演していた若手の中から際立った目立ち方をし、司会のウッチャンナンチャンから引き立てられて売れ始めた。デビュー2年目にしてオールナイトニッポン2部パーソナリティとなる。以後多くの番組で「仕切り」のポジションに立ち、若くして冠番組を多数持つようになる。奇しくも、吉本興業に入った頃のインタビューで淳は将来の夢として「オールナイトニッポンのパーソナリティをやりたい」と語っている。ブレイク時期は淳の赤髪と亮の金髪がトレードマークであり、パンクロック風のファッションも相まって、吉本には珍しくとんねるず系の東京芸人の雰囲気をまとった新世代と評されていた。 ブレイク直後、急性吉本炎の企画『BINTA!』を宮迫博之の代わりに行ったところヒットし、素人いじりの原型になった。暴ロンブーやぷらちなロンドンブーツなどで素人をいじる企画を得意としていた。かつては、深夜帯の冠番組が好調なのに対して、ゴールデン帯では2クールで終了していったため、「深夜でしかウケない」と評されていた。 2000年 - 2002年、歌手としてエイベックスから3枚のシングルを発売した。また吉本芸人のユニット「Re:Japan」に参加し、2001年のNHK紅白歌合戦に出場を果たした。コンビ揃って、「新宿暴走救急隊」の主題歌、「岬」にて歌手デビューもしている。 2015年、「アメトーーク!」にて「ロンブー同期芸人」と題し特集され放送された。 2019年12月、田村淳は活動謹慎処分中の田村亮と株式会社LONDONBOOTS(法人番号:8011001130769)を設立したことを自身のTwitterで報告した[7][8]。また、時期を同じくして淳がYouTubeチャンネル「ロンブーチャンネル」を開設した[9]。 2019年現在、コンビでのテレビのレギュラー番組は単発を除けば「ロンドンハーツ」のみで、この番組は1999年から続く長寿番組となっている。亮は自身が起こした闇営業問題により活動謹慎処分[10][11] となったため出演を休止していたが、2020年4月7日放送分より、「見学」としてではあるものの一応の復帰を果たした。 2020年1月、吉本興業より田村亮の活動再開が発表された[12]。 2020年1月10日付で亮が吉本興業を離れ、淳と共に設立した株式会社LONDONBOOTSに所属し、同社の所属タレントとして吉本興業とエージェント契約を結んだ。それに伴い、極楽とんぼに次いで(吉本では2組目のエージェント契約者のいるコンビ)メンバーの所属事務所が異なるコンビとなった[注 3]。 2020年1月27日、YouTube「ロンブーチャンネル」の動画において、亮から淳へ「この騒動の責任を取りたい」「これから新しいロンドンブーツをお前が1号になって作ってくれ」との言葉があり、淳が2代目1号を襲名した。これにより、ロンドンブーツ1号が淳、ロンドンブーツ2号が亮と定義された。1月30日、亮が謝罪会見を行ったのと同じ場所でコンビでトークライブを開催した。復帰会見も行い、コンビとしての活動、及び亮の活動が本格的に再開した。 同年11月1日、淳が1号を退任し、ロンドンブーツ複数号計画も兼ねて亮が1号、淳が2号となった。森本英樹が3号襲名。 2022年2月12日、ロンドンブーツ1号2号名義で行ってきたYouTubeチャンネル「ロンブーチャンネル」を「田村淳TV」に改名し、淳の個人チャンネルへと変更し、現在はアーシーchへと進化を遂げている。(「ロンブーチャンネル」の動画も残されている)。 出演番組※コンビとしての出演番組を記載。単独での出演は田村淳、田村亮を参照。 テレビ番組現在レギュラー 単発、不定期
過去木曜深夜に3局でメイン番組を持ったことがある。(『ぷらちなロンドンブーツ』(テレビ朝日系/1997年10月 - 2002年9月)→『ロンロバ!全力投球・金メダル』(TBS系/2003年10月 - 2004年9月)→『嗚呼!花の料理人』(日本テレビ系/2006年4月 - 2008年9月))
ラジオ過去
テレビドラマ
ゲーム
CM
音楽作品全てエイベックスより発売。
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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