ルキウス・フラウィウス
ルキウス・フラウィウス(ラテン語: Lucius Flavius、生没年不明)は、紀元前1世紀中期・後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前33年に補充執政官(コンスル・スフェクトゥス)を務めた。 出自ルキウスはプレブスであるフラウィウス氏族の出身である。紀元前104年にガイウス・フラウィウス・フィンブリアが、先祖に高位官職者がいないノウス・ホモ(新人)にもかかわらず、氏族最初の執政官となった[1]。ルキウスは氏族としては二人目の執政官となる。 1世紀後半にはフラウィウス氏族から3人の皇帝(ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス)が出ることになる。 経歴フラウィウスはマルクス・アントニウスの支持者であった。紀元前33年、オクタウィアヌスは執政官となるが、この機会を利用して支持者の数を増やすため、ローマであまり評判の高くない人物や、イタリアの他の都市で影響力を持つ人物を登用することにした。このため、アントニウスの支持者であったにもかかわらず、フラウィウスは6月1日にルキウス・アウトロニウス・パエトゥスの後を受けて補充執政官に就任した。同時にガイウス・フォンテイウス・カピトも補充執政官となっている[2][3]。フラウィウスも任期を完了することなく離職し、マルクス・アクリウス・グラブリオに交代した[4]。 脚注参考資料古代の資料
研究書
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