リッペ郡
リッペ郡 (ドイツ語: Kreis Lippe) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州デトモルト行政管区(地理上のオストヴェストファーレン=リッペと同一地区)に属す郡である。郡庁所在地はデトモルトである。郡域はかつてのリッペ侯国とほぼ一致する。ヴェストファーレンとラインラント北部に加えてリッペがノルトライン=ヴェストファーレン州を構成している。歴史上、リッペの地名の元となったリッペ川は本郡を流れていない。 地理隣接する郡および市リッペ郡は、北はヘルフォルト郡およびミンデン=リュベッケ郡、東はニーダーザクセン州のシャウムブルク郡、ハーメルン=ピルモント郡およびホルツミンデン郡、南はヘクスター郡およびパーダーボルン郡、西はギュータースロー郡およびビーレフェルト市と境を接している。 歴史本郡は、古くは神聖ローマ帝国領、後にはリッペ侯国を形成していた。12世紀に初めてリッペ家がここに支配地を築いていたことが文献に記録されており、1529年に帝国伯、1789年に帝国諸侯に昇格した。リッペは1815年にドイツ連邦に加わり、1871年から1945年まではドイツ国を構成する州に、1918年からは自由州となった。1932年に行政単位としてデトモルト郡とレムゴー郡が形成され、1934年にそれまで郡独立市であったデトモルトとレムゴーもこれに編入された。 1947年1月21日にリッペ自由州は、イギリス占領軍の軍事令 No. 77 によってノルトライン=ヴェストファーレン州と統合された。この際ミンデン行政管区とリッペ行政管区から新たにデトモルトを本部所在地とするミンデン=リッペ行政管区(1947年4月1日、同年6月2日からデトモルト行政管区)が創設された。ノルトライン=ヴェストファーレン州の州議会が1948年11月5日に可決した法令(いわゆるリッペ仮協定を発展させたもの)、すなわちリッペ州をノルトライン=ヴェストファーレン州に併合する法令が1949年に発効した。これとは別にリッペ地域連合が形成された。リッペローデとカペルはリップシュタット郡に編入された。 1969年と1970年にレムゴー郡(1969年1月1日、レムゴー法による)とデトモルト郡(1970年1月1日、デトモルト法による)で新たな自治体が成立した。かつて186あったリッペの市町村から16市町村が創設された。リュクデ市とハルツベルクおよびケムペン=フェルドロムの町はデトモルト郡に、リッペの飛び地であったグレーフェンハーゲンはヘクスター郡に編入された。1973年、それまでのレムゴー郡とデトモルト郡から新たにリッペ郡を創設するビーレフェルト法が成立した。その郡庁所在地はデトモルトに置かれた。 リッペ郡の郡域は、かつての所領/伯領/侯国および州としてのリッペとほぼ一致しており、約 900年の歴史を引き継いでいる。 行政上級郡行政長官
1999年10月1日に自治体制度改革によって、専任の上級郡行政長官と名誉職の郡長が統合された。このため、1999年10月1日以降上級郡行政長官は存在しない。 郡長
郡議会2020年9月13日に行われた郡議会選挙に基づく議席配分を以下に示す[2]。
紋章、旗、幟本郡の紋章は銀(白)地に、金色(黄色)の蘂と金色(黄色)の萼を持つ赤い5弁のバラ(リッペのバラ)が描かれている。 1973年に自治体の地域再編で創設されたリッペ郡は1973年7月17日に認可を得て、紋章にリッペのバラを使っている。歴史上、バラは何世紀も前からリッペ領主家、リッペ伯家、リッペ侯国、ジッペ自由州の紋章の意匠であった。デトモルト郡とレムゴー郡とが合併して以降、リッペ郡の郡域は基本的にリッペ州と同一であった。こうした8世紀以上に及ぶ異例に長続きした歴史を背景に、新しい郡の紋章にリッペのバラを使おうという企画が興るのは自然なことであった。16本の金の雄蘂は新しい郡に属す市町村を象徴している。 本郡は、長軸方向に黄色と赤に塗り分けられた地に旗竿寄りに郡の紋章が描かれた旗と、長軸方向に黄色と赤に塗り分けられた地の上部に郡の紋章が描かれた幟を使用している。 (郡の基本条例[3] § 2) 社会資本と経済大学リッペ郡の大学都市はデトモルトとレムゴーである。デトモルトには音楽大学がある。レムゴーにはオストヴェストファーレン=リッペ大学の本部がある。この大学はデトモルト以外のリッペ郡内や、リッペ郡外のヘクスターやヴァルブルクにもキャンパスを有している。 ホルン=バート・マインベルクには大学学生・OBのためのヨーロッパセンター・オストヴェストファーレン=リッペがある。 大学を除く研究機関大学を除く研究機関としては、デトモルトにマックス=ループナー研究所の「穀物の安全と品質研究所」があり、レムゴーにはフラウンホーファー研究機構の工業オートメーション応用研究所 (IOSB-INA) がある。フラウンホーファー応用研究所が入居している建物は、オストヴェストファーレン=リッペ大学のレムゴー・キャンパス内にあり、指定管理者制度の枠組みで個人投資家によって建設された。ここでの研究は、ITを基盤としたオートメーションに重心が置かれている。 教育、研究・調査、文化の奨励教育、研究・調査、文化の奨励のためにリッペ郡は2001年にリッペ郡シュタンドルトジッヘルングが創設した。リッペ地域連合もこの地域で奨励活動を行っている。 交通飛行場と空港エルリングハウゼン飛行場は、大きなグライダー飛行場で、小型のエンジン飛行機も離着陸可能である。この他に、もう一つの地域飛行場デトモルト飛行場がある。ブロムベルクの近くにはブロムベルク=ボルクハウゼン飛行場がある。 郡外の最寄りの空港は、ビーレフェルトとパーダーボルン近郊(後者は国際空港である)にある。 鉄道リッペ郡は、ベガタール鉄道、ヘルフォルト - パーダーボルン線およびハノーファーSバーンで結ばれている。公共交通サービスには以下のものがある。
ヴェストファーレン鉄道、オイロバーン、ノルトヴェストバーンおよび DBレギオの S5号線の旅客路線が郡を通過している。 道路連邦アウトバーン A2号線ドルトムント - ハノーファー線のビーレフェルトとヘルフォルトとの間の区間がリッペ郡の北西部をかすめている。ビーレフェルトからパーダーボルンへのゼンネ地域を通る連邦アウトバーン A33号線が郡域近くの西側を通っている。 リッペ郡内を連邦道 B1号線、B66号線、B238号線、B239号線、B252号線が通っている。その他の重要な道路には、オストヴェストファーレン通りやエクスタータール通りがある。 郡議会は 2006年に、郡の道路建設、道路管理、道路保守を民間に委託する指定管理者制度プロジェクトの締結を決議した。この政策は市民の間で議論を呼び、これに対する住民投票を要求する市民運動が起こった。郡議会は、2006年11月6日の会議で、この住民投票の要求は認められないとして否決した。 自転車郡内には多くの広域自転車道やローカルな自転車道が張り巡らされている。たとえば、ウェルネル=ルートや廃線跡を利用した自転車道バーンラートルーテン・ヘルヴェーク=ヴェーザーやバーンラートルーテン・ヴェーザー=リッペなどである。 農業土地の農業利用率は、リッペ内でも個々の地域によって全く異なっている。たとえば、アウグストドルフの農業用地は登記面積の 2.8 % に過ぎないが、レーオポルツヘーエのそれは 81 % を占める。この違いは、特にトイトブルクの森に起因する。この山塊に直接面している地域では、土地の農業利用率は軒並み低い(アウグストドルフ 2.8 %、エルリングハウゼン 12.2 %、シュランゲン 13.8 %)。アウグストドルフとシュランゲンでは、さらに町の大きな部分が軍事演習場とされているという、もう一つの制約がある。 健康
この他にクリーニクム・リッペはバート・ザルツウフレン=シェトマールの健康センターに48 床の小児・若年精神病のための分院を有している。 これらの病院計画の他に数多くのリハビリテーション施設がある。
メディアラジオ・リッペは、郡内向けの民間ローカルラジオ局である。自作の番組の他に、ラジオ・NRW の地域プログラムも放送している。 西ドイツ放送 (WDR) はデトモルトにオフィスを有している。このオフィスはWDR-スタジオ・ビーレフェルトに属し、WDRおよびARDのためのラジオ・テレビ報道を制作している[4]。 リッピシェ・ランデス=ツァイトゥングは、平日に刊行される郡の地方紙である。リッペポータルは、イベントカレンダーを掲載する月刊紙である。リッペ・アクトゥエルは隔週刊行の経済紙で、無料でリッペ郡のほぼ全戸に配布される。 地方メディアネットの観点から興味深いのは、ラジオ・リッペが放送する市民制作番組である。これらの番組制作のために、ボランティアによって組織され、自由に立ち入ることのできるラジオ制作所がデトモルトとヘルステ(ラーゲ市)に設けられている。 市町村リッペ郡は以下の市町村からなる。かっこ内の数字は、2023年12月31日現在の人口である[1]。
このうち、バート・ザルツウフレン、ラーゲ、レムゴーは中規模郡所属市、デトモルトは大規模郡所属市に格付けされる。 その他
引用
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