ヨハン・リーヴァ
ヨハン・リーヴァ (Johan Patrik Mattias Liiva、1970年11月18日 - )は、スウェーデン・ヘルシンボリ出身のヘヴィメタルミュージシャン。アーチ・エネミーの元ボーカリストとして著名。その他に、カーネイジ、ファーボウルなども活動していた。現在は、ハース、ノンイグジストで活動している。 略歴1987年にスラッシュメタルバンド、Mortal Abuseで活動を開始する。Mortal Abuseではドラムスを担当した。Mortal Abuseには、後にカーネイジ、エントゥームド、スピリチュアル・ベガーズで活動するジョニー・ドルデヴィック (G)も参加していた。Mortal Abuseは1988年にデモを作成するがすぐに解散してしまう。1988年に友人のマイケル・アモットと共にデスメタルバンド、カーネイジを結成。パートはボーカルとベース。2本のデモ『The Day Man Lost』、『Infestation of Evil』に参加する。しかし、1stアルバムのレコーディング前に脱退。脱退前後に、Hydr Hydrにボーカルとして加入。Hydr Hydrには、後にカダヴァーで活動するアンダース・オデン (Ds)、L.J. Balvaz (G)が参加していた。Hydr Hydrはデモを2本作成した後、解散している。脱退後の1990年に、Devourmentに加入。Devourmentは、1991年にファーボウルにバンド名を変更している。ファーボウルでは、ボーカルとベースに加えてギターも兼任した。ファーボウルは、1992年に1stアルバム『Those Shredded Dreams』をリリースしデビューする。同アルバムにはマイケル・アモットもゲスト参加している。その後、1994年に2ndアルバム『The Autumn Years』をリリース。リリース後、ヨハンはファーボウルを脱退する[1]。ファーボウルはWonderflowにバンド名を再変更するも、ミニアルバム『20th Century Egyptian』をリリースしたのみで、その後は目立った活動は無く、活動を停止している[1]。 アーチ・エネミー1995年にマイケル・アモットのデスメタルプロジェクトバンドのアーチ・エネミーに加入。1996年に、1stアルバム『Black Earth』をリリースしデビューする。同年にはカテドラルのサポートアクトとして初来日。1998年に2ndアルバム『Stigmata』をリリース。同年にも来日公演を行っている。翌1999年には、早くも3rdアルバム『Burning Bridges』をリリース。同アルバムリリース後、アーチ・エネミーは初のツアーを行う。同ツアー中の日本でのライヴ音源が、2000年にライヴアルバム『Burning Japan Live 1999』としてリリースされた。しかし、2000年10月にヨハンはライヴでのパフォーマンスの悪さを理由にアーチ・エネミーを解雇された[2]。この解雇は、ヨハンが副業だった印刷会社の経営から手を引き、アーチ・エネミーに専念しようとしていた矢先の出来事だった[2]。 アーチ・エネミー脱退後アーチ・エネミーを解雇された2000年に、WARミュージックからの紹介でアンドロメダで活動するヨハン・レインホルツ (G,B)と出会い、ノンイグジストを結成。ノンイグジストには、当時デフレッシュド、ダーク・フューネラルのドラマー、マッテ・モーディン (Ds)も参加している。2002年に1stアルバム『Deus Deceptor』をリリースするも、メンバーが個々の活動で忙しく、ノンイグジストは活動休止状態が続いた。 2003年に、元ファーボウルのマックス・ソーネルとマックスの友人のマティアス・リュングで、ハースを結成。以後、ハースをメインバンドとして活動する。 2008年には、ファーボウルを最初の名前Devourmentで再結成している。更に2012年に、長らく活動休止状態だったノンイグジストが再始動する。ノンイグジストはマッテが脱退し、ヨハン・リーヴァとヨハン・レインホルツの2人での再始動となった。 ディスコグラフィMax And The Chainsaws
カーネイジ
ファーボウル
アーチ・エネミー
ノンイグジスト
ハース
ゲスト参加
参加バンド
脚注参考文献外部リンク |