ホルヘ・ダ・シルバ
ホルヘ・オロスマン・ダ・シルバ・エチェベリート(Jorge Orosmán da Silva Echeverrito, 1961年12月11日 - )は、ウルグアイ・モンテビデオ出身の元サッカー選手。元ウルグアイ代表。サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 経歴選手時代モンテビデオに生まれ、1977年にCAフェニックスからデビューした。その後はダヌービオFCに短期間在籍し、1978年にデフェンソール・スポルティングに加入した。1982年、スペインのレアル・バリャドリードに移籍した。1983-84シーズンには30試合に出場して17得点し、フアン・ゴメス・ゴンサレスと同点でピチーチ賞(得点王)のタイトルを獲得した。バリャドリードの選手としては2人目のピチーチ賞受賞者となった。また、同シーズンにはクラブ初のタイトルとなるコパ・デ・ラ・リーガ優勝に貢献した。1985年、レアル・マドリードに移籍したウーゴ・サンチェスの代役を探していたアトレティコ・マドリードに移籍し、2シーズンで計21得点を挙げた。同年にはコパ・デル・レイやスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝に貢献した。1987年には南米に戻り、アルゼンチンのCAリーベル・プレートでは58試合で23得点を挙げた。1989年にはチリのCDパレスティーノに移籍し、1991年に移籍したコロンビアのアメリカ・デ・カリでは1992年にリーグ優勝を果たした。コロンビアではミジョナリオスFCでもプレーし、母国の古巣デフェンソールでプレーした後、36歳で現役引退した。 1982年2月20日、ネルー・カップの韓国戦 (2-2) でウルグアイ代表デビューした。1986年にはメキシコで開催された1986 FIFAワールドカップに出場し、4試合中3試合に出場して2枚のイエローカードを受けた[1]。1993年にはエクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993に出場した。 指導者時代現役引退後は指導者の道に進み、約10年間は世代別ウルグアイ代表のコーチを務めた。2007年に選手時代の古巣デフェンソールの監督に就任し、2008年にはプリメーラ・ディビシオン優勝を果たした。2009年のコパ・リベルタドーレスでは準々決勝に進出した。その後の2年間はサウジアラビアのアル・ナスルを指揮した。 2010年12月15日、アルゼンチンのCDゴドイ・クルスがダ・シルバの監督就任を発表した[2]。2012年にはCAバンフィエルド監督に就任したが、2月27日、CAバンフィエルドを離れて母国のCAペニャロール監督に就任した[3]。 タイトル選手時代クラブ
個人
指導者時代
脚注
外部リンク
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