プレ・ヒアリングプレ・ヒアリングとは、上場会社が募集又は売出しを予定している状況において、証券会社又はその関連会社が、未公表の法人関係情報[註釈 1]を、需要把握などを目的として、大口の機関投資家などに提供したうえで行う、当該上場会社の募集[註釈 2]又は売出しに係る有価証券に対する投資家の需要の見込みに関する調査のことである[1][3][4][5][6][7][8]。上場会社[註釈 3]の行う募集に際してプレ・ヒアリングを行うことは、日本国内では、日本証券業協会の「協会員におけるプレ・ヒアリングの適正な取扱いに関する規則」第9条により、禁止されている[1][3][4][9][10]。 届出前勧誘とプレ・ヒアリング欧州の証券市場においては届出制度がないことから、届出前勧誘の問題が存在しないため、積極的にプレ・ヒアリングが実施されている[5][11]。また、米国の証券市場では、Universal Shelf Registrationと呼ばれる包括的な発行登録制度が導入されており、事前に投資家の需要を探ることが可能になっている[5][11]。一方で、日本国内では、届出前勧誘規制への抵触の懸念等から、国内での募集や売出しに関してプレ・ヒアリングは行われていなかった[5][11]。このように日本において、募集や売出しで、プレ・ヒアリングが実施されない理由として、日本ではPOでの募集又は売出しがなされる株式に対する機関投資家の需要が弱いことから、相対的に国内の個人投資家への配分割合が大きくなっているため、条件決定までの期間の大幅な短縮は困難になっていることがあげられる[5][11]。一方、米国では、機関投資家への販売がほとんどであることに加え、利用しやすい包括的な発行登録制度や、機関投資家を中心とした短期間のブックビルディングの活用によって、期間の短縮が可能となっているため、日本と海外ではこのような差が生じている[5][11]。 このような差があることを認識したうえで、日本証券業協会の「我が国経済の活性化と公募増資等のあり方分科会」が取り纏めた報告書によると、プレ・ヒアリングは、マーケティング期間を一晩又はそれに準じる短期間にとどめる効果のあるアクセリレーテッド・オファリングの実施のためには意味がある手法であるものの、日本国内の市場に上場する会社の公募増資にとっては一般的なオファリングの形である個人投資家も含めたフルマーケティング型のオファリングには、実務的には必要性が乏しいと指摘がなされた[5][11]。さらに、我が国においては、日本証券業協会の自主規制規則である「協会員におけるプレ・ヒアリングの適正な取扱いに関する規則」により、海外投資家に対するプレ・ヒアリングの実施は、欧州の株式市場や米国市場と同様に、秘密保持及び売買禁止の制約のもとに認められているものの、日本国内の募集に関するプレ・ヒアリングは禁止されている[5][11]。 日本において、プレ・ヒアリングが禁止されている理由として、開示規制や届出規制の観点からは、国内でプレ・ヒアリングを実施する場合、金融商品取引法上の「需要調査」と「勧誘」の線引きが実務上困難であることが想定されており、仮に法解釈の結果、証券会社が「需要調査」として行ったヒアリング行為が「勧誘」と判断された場合、金融商品取引法にて禁止されている届出前勧誘に該当してしまい、届出・開示義務に違反した行為を行ったと見なされる可能性等様々な問題が生じ得ることが挙げられる[5][11]。 この点について、2013年12月25日、金融審議会「新規・成長企業へのリスクマネーの供給のあり方等に関するワーキング・グループ」では、報告書を取りまとめ、「企業及び引受証券会社が、適格機関投資家、特定投資家又は大株主を対象者とし、かつ、有価証券届出書の提出前に当該情報が対象者以外に伝達されないための適切な措置を講じている場合において、有価証券の募集・売出しの是非を判断するために、当該有価証券に対する市場における需要見込みを届出前に調査すること(いわゆる「プレ・ヒアリング」)」は届出前勧誘に該当しないと判断したうえで、企業内容等の開示に関するガイドラインの改正を実施するとしている[6][7][8][12][13]。加えて、2014年8月26日より改正同ガイドラインを施行し、法令上はプレ・ヒアリングの実施について一定の要件を満たした場合に限って解禁がなされている[7][8][14]。これを踏まえ、日本証券業協会では、今後、国内プレ・ヒアリングの導入については、「インサイダー取引防止の観点からも必要な措置が検討されるべきである」との見解を示している[12][15]。また、仮に日本国内においてプレ・ヒアリングの活用が実現し、短期間でのブックビルディングが可能となるなどした結果、条件決定までの期間及び売買が成立するまでの期間が短縮された場合には、現在、会社法第201条第3項及び第4項により払込期日まで中14日を要しているが、この長さでは、同法第309条で特別決議を要するとされる有利発行には当たらないとされる程度のディスカウント率での公募増資を行っても、投資家にとってリスク許容度に見合わないとの評価につながりかねず、当該公募増資や売出しへの投資家の参加が事実上阻害されてしまう要因となる可能性がある[12][16]。この可能性を具現化させないためには、投資家の参加意欲と発行会社の調達環境の向上を図る必要があることから、この払込期日まで中14日を開けねばならないとしている現状の規制を見直すことも検討すべきであるともしている[12]。 上述のように、届出前勧誘の観点からは、法令上は、一定の要件が満たされた場合に限っては、国内募集に係るプレ・ヒアリングが解禁されたわけではあるものの、そもそも引受人となる主幹事証券会社側及びプレ・ヒアリングの対象者となる機関投資家からの需要がない[註釈 4]こともあり、日本証券業協会では自主規制規則の改正を実施しておらず、2017年現在でも、日本国内での募集に係るプレ・ヒアリングは禁止されている状況である[17]。 プレ・ヒアリングとインサイダー取引日本国内における募集に係るプレ・ヒアリングは、インサイダー取引規制防止の観点から、金融商品取引業等に関する内閣府令や日本証券業協会の自主規制規則などにより禁止されている[4][9]。これは、この規制が導入される前には、プレ・ヒアリングの実施により証券会社から未公表の公募増資情報を得た機関投資家が、以下のスキームで募集の実施が公表される直前に大量の空売りを実施するという不公正な取引を行うことで利益を上げるという事象が横行し[註釈 5]、プレ・ヒアリングが増資インサイダー問題の温床であると指摘されたことを受けて法令・規則等で対応することとなったことによるものである[4][9][18][19]。 増資インサイダーのスキームはおおむね以下のとおりである。
このような、プレ・ヒアリングの対象となった機関投資家による不公正な取引がなされた事例として疑われているものの一つとして、2003年の三井住友フィナンシャルグループ株式の募集が挙げられる[9][18][28]。この事例は、野村證券の担当者が、英国の機関投資家に対し、プレ・ヒアリングを実施し、そのヒアリング内容を基に、この機関投資家が不公正な取引で利益を上げたとして現地で摘発されるなどしたものである[29][30]。このようなプレ・ヒアリングを利用したインサイダー取引の多発を受けて、2006年4月14日、証券取引等監視委員会は、金融庁設置法第21条の規定に基づき、金融庁長官に対して、以下のとおり「プレ・ヒアリング(事前需要調査)に係る情報管理体制の整備について」なる建議を行った[30][31][32]。(以下、原文ママ)
この一連の動きを受けて、金融庁は2006年11月1日、「証券会社の行為規制等に関する内閣府令」を改正し、未公表の法人関係情報を提供して需要調査を行う際には、証券会社に以下の措置を採ることを求め、また2007年1月には、日本証券業協会においても「協会員におけるプレ・ヒアリングの適正な取扱いについて」を制定し規制を行っている[註釈 7][註釈 8][30][32][34][35][36]。
この「証券会社の行為規制等に関する内閣府令」の改正にあわせて、日本国内の証券会社以外の金融機関又は外国の証券会社が行うプレ・ヒアリングについても同様の規制を及ぼすことを目的として、「金融機関の証券業務に関する内閣府令」及び「外国証券業者に関する内閣府令」についても改正が行われた[30][35]。 このような、規制により日本国内の募集に係るプレ・ヒアリングの実施が禁止されたものの、海外でのプレ・ヒアリングは依然として行われていた[34]。そして、この海外でのプレ・ヒアリングが規制では捕捉されていないという事情が、増資インサイダー問題の温床となっているとの指摘があった[34]。実際、2010年のみずほフィナンシャルグループ、東京電力、国際石油開発帝石や日本板硝子の株式の募集、2011年のフェローテックの株式の募集などが、増資インサイダー問題の具体事例となっている[9][18][28][註釈 9]。一方で、2007年1月以前に目を向けたところ、それ以前からプレ・ヒアリングを利用した公募増資に係るインサイダー取引は行われており、このような問題は、証券業界に強く根付いた悪しき慣習が影響していたのではないかと、日本証券アナリスト協会では指摘している[34]。 このようなプレ・ヒアリングとそれに絡んだインサイダー取引の問題や、それに伴う発行会社並びに証券会社など情報の提供側に当たる者及び情報の受け手側である機関投資家などにおける情報管理体制の整備における課題もあることから、前掲のように開示規制及び届出規制の観点では解禁されたプレ・ヒアリングではあるものの、実務上は実例が蓄積されていないという状況にある[8]。 脚註註釈
出典
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